台北最終日。台北はボルヘスの幻想小説のような街、書物に似たなにか、書物の中にいるような旅だった。讀書的時候總是需要。
台北の都市には「憩い」の文化がはっきりとあり、そのための公園がたくさんありました。日本は公園の使い方がわからない??
閲樂書店。詩のコーナーが充実していて狂喜しました。
閲樂書店で購入した詩集に痺れる。
底知れぬ路地裏の魅力。
地下鉄の廣告に詩的復興。
名残惜し、台湾再見!
給与から毎月積み立てたお金で台湾に行ってきました。計画的社員旅行です。台湾はずっと行きたいと思っていたものの今回が初めてで、台北は大好きな街になりました。100ショットくらいある写真を説明はあまりせずにアップします。
もう色使いがぜんぜん違う。ピンク色を多く見た。
5:30.昨晩のハタ・ヨガの効果か、目覚めがすっきりしている。朝の勤行まで時間があるので周辺を散歩した。南院の鳴龍。手を叩くと龍が鳴いた。
朝の勤行のあと、朝食。精進料理ももう最後だ。胃に沁みいる。
8:00.出発。南院様、お世話になりました。
高野山を下りる前に世界遺産のお寺金剛三昧院へ。国宝の宿坊。予約はとれなかった。
さびた感じが他のお寺と全然違う。
天然記念物指定の石楠花。一番古いもので樹齢450年だという。蜜蜂の羽音が思索を誘った。
徳川家霊台。東照宮的な。
絵文字。
9:00.女人堂からバスへ。
さらば高野山。ふたたび、この急傾斜。
スペインの子が燥いでいた。
13:00.奈良に戻って大神神社へ。ここは三輪山自体が崇敬の対象になっている。五月の光が素晴らしい。人でごった返す。関西弁が外国語のように聞こえた。
いい形をした三輪山。
三輪といえば素麺!美味しかった。最後だから贅沢した。
16:00.法隆寺にも立ち寄る。西岡棟梁の鑿は展示していなかった。
柱がいいなあ。しかしエンタシスって伝来されたものなのだろうか。
18:30.大阪南港にふたたび戻る。當麻寺には行けなかったが、また次回ということで。
旅の終わり。
21:00.明石海峡大橋をくぐる。
メレルのジャングル・モックが大活躍した。
この日は18000歩。
降り際に向かいのデラックスシングルの部屋をのぞいてみた。さすがにゆったりしている。
8:30.鉄輪に帰りついた。
故郷とは名前を呼べば答えてくれる猫がいる土地のことだ。
真言密教は仏教ではない。
一見仏教っぽいけど、全く別の体系を空海は打ち立てたのだ。
5:30.起床。二日目も宿坊に泊まるので、この日は丸一日高野山にいることができた。朝の6時より勤行が始まる。自由参加だがこれに参加しないと宿坊に泊まる意味もないと思っている。
朝の勤行…これが今回の旅で一番といっていい体験だった。撮影は禁止だったが朝の凛とした空気の本堂での勤行は異世界でそれ自体が瞑想的であった。
本堂のなかは昏く光といえば蝋燭の灯りくらいで、奥のご本尊が幽かに蝋燭の火に揺れながら見せる、三人による声明は音楽そのもの、揺蕩う線香の煙が有限性の時間から永遠へと一瞬を見せる、その香りもまた浄土のよう、司馬が空海は装飾を好むと言ったのはこういうことかもしれない、ここには演出がある、舞台装置がある。故人の名前が呼ばれ、享年、没年月日がつぎつぎと読まれていく。勤行のただなかでわたしは過去を想い、生成と消滅を繰り返し、洗い洗い流れ流されあらたに生まれ変わっていくようだった。
7:00.朝の勤行後の精進料理もまた清々しく、ひときわ美味。ひとつひとつを丁寧に味わう。勤行の感動が尾を引いているのか感に堪えない。写真は肉のような佃煮。
お世話になった部屋をきれいにして立つ。すばらしい宿坊だった。
半分以上が外国の人、それもフランス人だった。
8:00.本覚院を出て高野山の本通りを歩き、奥ノ院を目指す。
表通りには多くのお寺が立ち並ぶ。どれも格式や風格がある。
枝道にある寺は俗臭が消えると司馬氏は書いていたような。
8:20.奥ノ院口へ。一の橋。ついに来たかという感慨。
司馬遼太郎の文学碑。
参道を分け入っていく。杉杉杉墓墓墓。御廟まで2km続く。これ自体が巨大なセット、思索をいざなう舞台装置のようだ。
参道とは産道のことなのだろうかと考えた。なにかを遡行している感が強い。鳥の囀りがひときわ響く。歩いているのか歩かされているのかア。
9:30.御廟橋。ついに霊廟へ。ここからは撮影禁止。千年前の祈り。空海は今も生きている。
水行の神聖な場。
欲しかった高野山の御朱印帳。高野杉の香りが清々しい。弘法大師の系に恥じないようにかどの御朱印も見事な筆さばきだった。
10:20.2度目の朝食。。精進料理での空腹が我慢できなかった。俗に落ちる。
山らしい強い光線、五月の光。
行きたかった香のお店、高野山大師堂。白檀のお土産を買った。
三宝院の門に掲げられた家紋に興味をひかれた。二羽家と縁があるようだ。ウルトラクイズの〇×クイズを思った。
石楠花に酔って。
12:30.蛇腹路。
おお、ついに見えた根本大塔。
高野山には外国人の参拝者が多い。そのアウトドアスタイルがとにかくカッコよかった。
14:30.金剛峰寺に戻って阿字観瞑想を体験する。これは蟠龍庭。日本最大級の石庭。
15:40.今日泊まらせていただく宿坊の南院に到着。中心部から離れた静かな所にある。
高野山の茶菓子かと思いきや、檀家さんのお土産であろう山梨の桔梗屋の信玄餅だった。美味しい。
17:30.少し早めていただいた夕食の精進料理。いつもは早食いだけど、ひとつひとつ丁寧に噛んで食べる。胃に沁み渡る。
夜は恵光院でハタ・ヨガをした。高野山は日本で初めてのヨガ道場を開いた場でもある。朝の勤行に奥ノ院に瞑想にヨガにひたすら自分を見つめ直す一日だった。
夜の高野山。誰も歩いていない。音もない。
燈の色合いがどこも素晴らしかった。
ライトアップされた根本大塔もまた美し。しじまに大塔の鐘が鳴る。
高野山にスナック発見!
21:00.南院に戻る。と私のスリッパが玄関にきれいに揃えられていた。。感動。
この日は2万歩以上歩いていた。高野杉でつくられたお風呂は素晴らしかった。疲れが癒えた。明日は下山。名残惜しい。つづく。
GWを利用して4泊3日で奈良、高野山へ行ってきました。高野山は初めてで非常に精神性の高い旅になりました。つらつらと記録をあげていきます。
18:00.別府港よりさんふらわあで出航。初めて個室スタンダードを利用。
広角レンズで撮られた宣伝用の写真をイメージしてしまっていたので、かなり狭く感じたが、この狭さが逆に落ち着く感じでよかった。
テレビは見ないが、洗面所がついているのが地味に嬉しかった。壁が薄くて隣の人の声やテレビの音が気になったけど、まあそれも慣れて眠りについた。
6:30大阪南港到着。久しぶりの大都市の景色にすこし興奮。住之江区の団地では団地間で鯉幟を渡していた。豪快やな。
他所を訪れた時にいつも感じるのは山のかたちの違いである。自分にとって風景とはなによりも山のことなのかもしれない。大阪から奈良へ抜けるところ屏風のように長くなだらかな山が見えた。たぶん生駒山地だろう。
8:50.奈良の天理にある石上神宮に立ち寄る。原初的な祭祀の場を感じる神社が好きで、以前から行きたかったところ。神宮号を伊勢神宮と同じく古くから称している。朝の冷気、霊気が境内を満たしていた。濃厚で甘やかな森の匂いに癒された。
天理の町はいろいろ凄かったが…割愛。
11:00.唐招提寺。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のもの。水平のプロポーションがため息が出るくらい美しい。建物もすばらしいが中に安置されている盧舎那仏座像、薬師如来立像、千手観音立像もまた圧倒的な存在感だった。こちらは撮影禁止。
磯崎新氏が柱原理主義と呼ぶのも頷ける。京都に都が遷ってからはこのような柱を前面に出したスタイルの建築は廃れてしまったようだ。
私のなかの奈良のイメージはこのような土壁となだらかな山と野。京都とはちがう空気感が好きだ。
14:15.すさまじい傾斜の高野山ケーブルカーに乗り込む。
14:50.突如として山上に町があらわれる。高野山到着。とにかく寒い。司馬遼太郎が『空海の風景』のなかで学生時代に兵隊に徴収される前に友人と吉野から熊野に抜ける山々を歩いているときに迷ってしまってふと高野山の街に出た時のことをこう書いている。
「途中、川筋をとりちがえたのか、ゆくほどに流れが細くなり、道もけものみちのようで、空木の木などがはびこり、歩くのに難渋した。それでも一晩中登りにのぼるうちに、不意に山上に都会が現出した。悪いものにたぶらかされているようでもあり、夢の中にいるようでもあった。深いひさしの下にある門燈に寄って行ってきくと、ここは高野山だという。いまふりかえってみると、このときの驚きが、私にこの稿を書かせているようでもある。」
総本山金剛峰寺。時間がなかったので、この日は拝観しなかった。
高野山では石楠花が見頃で、ほんとうに眩く輝いていた。
15:30.今日お世話になる宿坊の本覚院さんへ。宿坊に泊まるというのも私にとって初めてのことなので、これもまた得難い経験となった。このお寺には秘仏や狩野派の絵師による襖絵、天井画などがたくさんあり、そのすべてが撮影禁止となっている。今回の旅全般に言えることだが、肝心なものはすべて撮影禁止対象だった。だからこのブログによる記録もまた核心部が抜けているともいえる。
襖仕切りではあるが、鍵もあるし何の問題もない。この光の透過性がなによりいい。それにしても寒いので暖房をつける。
疲れた体に和菓子の甘さが染みわたった。
今回の旅の目的はいろいろあったけど、ひとつはお寺の掃き清められた庭や玄関、整えられた部屋を体感したかったというのがある。そういう精神がわたしにはとことん欠けていて、掃除や整理整頓が苦手で混沌を好む性質であったが、場の清浄さが精神に与える影響は大きいことに気づき、学びを得たかった。脱いだスリッパがいつの間にか揃えられているのには感動した。鉄輪で利用している温泉で利用者の下駄をいつも揃えるおじさんのことを思い出した。
回廊から見える重森三玲氏による庭。さまざまな視覚的効果を配しているようだが複雑すぎてわからない。
18:00.夕の精進料理。精進料理もまた道だ。量が少ないので、ひとつひとつ丁寧に味わって食べると、胃への落ち方も違う、ご飯やお吸い物から立ち上る湯気にも豊かな香りがあるのに気づく。瞑想に誘うような静けさ、汁をすする音、椀を置く音、箸の音、食べるという行為の神聖さに思い当たった。
なぜか大分、豊後に関係する部屋名があるかと思ったら、本覚院は大友宗麟や臼杵藩の稲葉信通の寄進を受けていたようだ。さきほど夕食を食べた広間に大友宗麟も座っていたことを思うとこの宿坊に泊まったのもなにかの縁だったかと思う。
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磨き上げられた回廊。塵ひとつなく。お風呂は熱めでよかった。この日は早々と眠った。つづく