対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

まず世界が先に在るのか

 

 

今月の風蘭さんの書道教室は隷書の臨書。土中に埋もれていた後漢一八五年の曹全碑を見ながら書いてゆく。

 

紙幣とか看板、Appleなんかのフォントにもある、扁平で蛭のように波打った古めかしい字。(波磔と呼ばれる)その味を出すための筆運びが難しく、風蘭さんに指導を受けながら何度も書いていく。

 

自転車に乗るのに、右足が〜とかでやっていくとかえって乗れない。言葉と身体、頭と動作の乖離を、雰囲気似てきたという楽しさで近づけていく。書き方が先にあるのでは無く、まず世界が先に在る。これは練習あるのみ。楽しい時間。石川九楊氏の書ほど楽しいものはないという言葉を思い出しながら

 

(でも本当はたぶん)書くことで世界が現出するというのが精確だろう。だから書いていくのだ、白い紙に。絵画とか写真とか文学や詩もそうだろう。だから手は無限にに震えるのだ。

 

 

鳥山明がしんだ。

西成のやまきの大将もしんだ。

 

 

曹全碑より