哲学は誰のものでなくさせられてきたのか
私が哲学に出会って感動したのは、その優しさ、つまり哲学は何も馬鹿にしないというところです。
別府大学の長尾先生に招かれて、田中悠輝監督の映画「
映画は障がい者の自立について問うた作品で、社会が与えた「 自立」 を受容することが自立ではないという出演者の言葉が突き刺さりま した。「おれの人生、しょうもない」と言われたときに、 あなたはどう返答するのかという問いも考えさせられるものでした 。
永井玲衣さんの哲学対話では、 いつも自分がファシリテーション側なので、 永井さんのファシリテーションに大いに学びを得ました。 社会のなかに、 このような対話の場が圧倒的に足りないという危機感を同じくして いて、 別府大学の人間関係学科を拠点に哲学対話の実践的な学びの場がで きるよう、なにか力になれればと思います。
永井さんの「みんなの問いを味わう」「問うことは抵抗」「哲学対話なんて覚えるんじゃなかった」「社会運動としての哲学対話」「うまく集えない、傷ついている」「誰が哲学させられなくしているのか?」「一緒に仲間になって考える」「たちあらわれるものとしての哲学対話」という言葉がエッセイ的でよかった。
哲学対話をしながら今日は、
高い対話力を持つ人が増えることが世界を変えるというより、
というある方の言葉を思い出していました。
夜の懇親会も楽しかったです。
いろいろなセッティングをありがとうございました。