別府市立中部中学校で2クラス哲学対話を生徒のみんなとしました。
最初に簡単に哲学と哲学対話について説明し、哲学対話の目標やこころがまえを
みんなと共有してから始めました。
「哲学」については聞いたことのある生徒が多い印象でした。
時間がないので事前に模造紙に書いて準備しました。
考えたい問いは生徒のみんなに事前に集めていて、前半のクラスは多かった、「生きる意味って何だろう?」にしました。私も中学生のころに一人でよく考えていた問いでしたが抽象度が高いので、「ああ生きているなあって、実感するときって、どんなときかなあ?」とか、いろんな足場になるような問いかけをして、対話を重ねました。
初めはぎこちなく自分で考えて自分の意見を話すということに慣れていないという印象がありましたが、粘り強く問いを重ねることで、少しずつ自分の考えを話し、お互いに問 いかけたり、コツをつかんだ生徒は他の生徒にアドバイスしたりケアの態度が見られました。抽象性の高い問いでしたが、「死にたいって思ったことある?」というような踏み込んだ問いも出てきて、心のうちを公に話す機会は得難かったのではないのかと思いました。私自身はみんなの意見を聞きながら、何かしたいことに熱中しているとき、したいことができ ているときに生きる意味や生き甲斐、それが生きる支えになっているんだなという気付き を得られました。中学生という時点であっても、それぞれの具体的な経験に即しながら、考え、語り、聴くということができたと思います。
もう一つのクラスでは事前に集めた問いがばらけたので、当日に多数決で選ぶことにしました。もっとも多かった 問いは「なぜ岸田総理は検討するのか?」でした。投票が盛り上がったこともあり、緊張がほぐれてその後の哲学対話も躍動感があり進めやすかったです。岸田総理という遠い存在 のように思える人物も、組織のトップとして生身の人間として見てみれば、生徒会⻑や委員⻑、部活のキャプテンなど身近な存在として置き換えて考えることもでき、彼(トップの人間)の孤独や彼の言動も理解できるようになる。初めは悪い印象でしかなかった岸田総理に 寄り添うことも出来る。哲学対話を通してこうした人間理解のダイナミズムを体験できた のではと思いました。
(この問いが選ばれたときは、先生方に動揺がみられましたが、私は充分哲学対話として成立すると思ったので、この問いで進めました。)
【事後の生徒からの授業評価や感想を読んでの私の意見を報告書にまとめて提出した】
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「難しさ」と「共感」の体験に出会うこと。終了後の生徒たちの感想を読むと、難しかったとしつつも楽しかった、またやってみたいとの意見が多く書かれていました。普段の教科学習では「難しさ」というのは敬遠されがちではありますが、難しいと思いながらも考えてみるのが哲学の第一歩でもあります。またクラスメートとの対話は、自分と同じ意見、違う意見に触れ、共感を覚えるきっかけになったと思います。同じクラスにいても、話して聴く体験がなければ相互の理解はなく、それぞれが孤立したままですが、哲学対話はそこを乗り越え、ともに共同の探求者としての一歩を踏み出すことになります。答えのない問いに向き合 った体験は、知識を仕込んでいく普段の授業とはまったく違う肌ざわりの学びの体験で、彼らにとってきっと今後有益なものになっていくことと思います。たとえば「道徳」の教科のような場で継続的に哲学対話ができることを望んでいます。
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自分たちの選んだ問いがリアルタイムに選ばれて、それが哲学対話のテーマに成り得ることに驚きや楽しさを感じているのが伝わりました。これこそ双方向の「主体的で対話的な深い学び」を体験できたことと思います。また自分の意見が周りに丁寧に聞かれていくという体験が彼等の自尊感情を高め、お互いの考えていることを知ることは相互理解につながり、クラスの中での自分の居場所を見つけるきっかけにもなります。ありがとうございました。