対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

宇部高専で哲学対話をしました。8.5

 

 

宇部高専でこども哲学のアーダコーダの理事でもある小川泰治さんにお招きいただいて10代の生徒たちを対象に哲学対話をしてきました

 

 

1日目は岩内章太郎さんの現象学の本質観取を使った哲学対話を体験し、2日目は自分の担当となりました。

 

 
自分の自己紹介をしつつ、私が普段実践している街場での哲学カフェと学校での哲学対話の違いを中心に話をしました。
 
 
ある程度同質性のある想定しやすい参加者のなかで行う学校での哲学対話とは違って、街中での哲学カフェではいろんな背景をもった大人たちが参加するので予測しがたいことが起こりがちで、それでも多様性を認め合いながら気持ちよく対話するためのルール設定の重要性や、それでも起こってしまう「傷つき」の問題、あるいは自己開示や告白、カミングアウト、パレーシアについて、ケア的観点から話をしました。
 
 
そしてテーマ設定として「傷つくって何だろう?」か「告白(カミングアウト)ってなんだろうか?」のどちらかに投票してもらって、最終的に「告白」について哲学対話することにしました。
 
 
普段から、そして7月から始まったこのプロジェクト学習の後半ということもあり、生徒のみなさんは哲学対話に慣れていて、そしてそれぞれの意見にそれぞれ固有の生が滲み出ていて、ファシリテーションをやっていても非常に楽しく、終わるのが非常に名残惜しかったです。
 
 
いくつか気付いた点
・10代の学校内での哲学対話は、自分の実存を交えて語る(ウェットなもの)よりも、自分から距離を置いたところで語りたい傾向があるかも。たとえば思考実験のようなものとか。それは学校という一期一会ではない、人間関係が続いていくコミュニティであるからか?それとも単なる慣れの問題なのか
・普段からの人間関係がいるので、哲学対話に於ける「ケア」の重要性についてのリアリティは薄いかも知れない
・哲学対話を定期的にあるいは集中的に行うことで、どのような内面的な変化や成熟が起こるのか知りたい。そこのコミュニティのなかで私はケア的な感性が醸成されているように傍目から見て感じました。
・主に技術者やものづくりの現場に将来携わるであろう彼らにとっての、哲学や対話とはどのようなものなのか
・あと小川さんと少し話した、たとえば外部講師を学内に招いたり居場所カフェを作ったりして、学校の内部に外部をつくっていくことの重要性について
 
 
 
この2日間は学びが多く、今後の自分の哲学対話の活動やフリースクールの在り方にとっても多くの実りをもたらすことと思います。ありがとうございました。
 
 
また一緒に今度は小川さんお薦めのときわ公園で哲学ウォークなどできればいいなと思いました。休憩時間や哲学対話が終わった後も対話の続きをしていたのが印象的だったので、いろんな楽しい対話を体験できればいいなと思います。
 
 

他の人の意見と比べて自信がないと前置きしつつ語ったある生徒の「告白とは一瞬時がとまるもの」というのが一番忘れ難く、真夏に薄荷のような香りを残しました。

 
 
ここを卒業して社会を出ても、対話的な人であるといいなと願いつつ。
 
 
また哲学対話の場でお会いしましょう。