対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

カサヴェテスは決して空を見上げない

 

 

 

〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。

 

『最後の親鸞吉本隆明

 

 

 

 

 

お母さん、彼らは詩を書くのです。パウル・ツェラン

 

 

 

 

 

除夜に書く。

 

・来年は小説を書きたい。人間と光についての小説。太陽と眼。顔の彼方。十字街頭。少年たち。日本語。失語。書くこと。書。原稿用紙とポメラと万年筆。多文化。理解とは別の仕方で。

 

 

・来年への〈哲学対話〉の飛躍の足がかりになるような出会いが年末に集中してある。有り難い。おもしろがって、自分が一番たのしく続けていれば、何かしらあかるい未来へと繋がっていく。点から線へ。でも面へは遠い。自分の理想とはほど遠い。1%くらいだ。

 

 

・今年の大きな出来事を振り返ると、別府市社会教育からの依頼で公民館で哲学対話が3回シリーズでできて公民館についてみんなで考えられたこと、シネマ5の「ぼくたちの哲学教室」上映に伴ってトークライブができたこと、別府大学の先生方と哲学対話での繋がりができたこと、小学校で哲学対話ができたこと、書を学び始めたことがあげられる。仕事が人を大きくする。舞台が人を大きくする。だから僕をもっと使ってほしいと思う。

 

 

・哲学対話というのは教育ではなしに、ある種の芸術として捉えた方がいいような気もしてきた。ラップとか奏でる音楽のような芸術。みんなそれぞれの楽器を鳴らして。

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」は音楽は流石に素晴らしいが、〈孤独〉のない映画で半分は失望した。いろんな意味で。スレイマンの「天国にちがいない」やジャームッシュの「パターソン」にある〈孤独〉。だいたいそんな簡単に空を見上げてもいいのか・・唐突にカサヴェテスの「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」のラストシーンを思い返した。空ではなく血のついた手を見て終わったあのシーンの〈孤独〉を。

 

 

・読書会のため、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を再読する年越し。壮絶すぎて頭が真っ白になるが、今こそ読まれるべき小説だ。ソンタグのように他者の苦痛をどう考えるのか。ほぼ満席になっていて来年の開催が待ち遠しい。

 

 

在庫の切れたカードのデザインを一新する。名刺のデザインは奥が深く、試行錯誤しているうちに「これしかない!」という芯に突き当たる。つまりコミュニケーションの本質が。

 

 

 

 

それでは、みなさまよいお年を。

わたしはこれから今年最後のすじ湯温泉の清掃バイトに行ってきます。