宋坑端渓硯で墨を擦って龍の字をたくさん書いた。墨おりがよく気持ちいい。年末に風蘭さんの書道教室で古典の臨書を始め、対話をし、賀状でもたくさんの墨字を書いた。それまで書くことにいささかの苦痛があったが、いまは楽しい。墨で書けなくても、パイロットのLIGHTIVEという万年筆と出会い、とてもしっくりくる書き味で(やっとしっくりきたものと出会えた!)、日記帳やノートに言葉を書きつける日々。書くために書く。意味ではなく。文字そのもの、筆触そのものと向き合っている。
そしてこれも昨年末に念願のポメラDM250を購入した。
〈書く〉に特化したマシン。毎日のように書いている、いや打っているという感覚。打つように書きたい。書くように打ちたい。ドラムのような身体性でもって。
ながいあいだ失語の如く自分の言葉を失っていたように思う。リハビリのようにブログを書いたり、小説家や哲学者の言葉を引用したり、読書会や哲学対話もそうかもしれない。闇から手探りで異邦人のように日本語を求めた。とくに現代詩はわたしを慰めた。
今月の自分が主催する読書会と他人が主催する読書会のための読書 を年末から続けている。一つは村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』、もう一つはソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』。 偶然にも二つとも他者の苦痛をテーマにしている。戦争でミサイルが飛び交い、災害で生き埋めになり、事故で炎に包まれる。そんな他者の苦痛を前にできることはなんだろうか。遠い映像から呼びかけられるものに対して。
火男火賣神社に参拝する。歩いて20分くらいだが、 鉄輪からはずっと坂道なのでけっこうきつい。いい運動になる。 うららかな冬日のなか黙々と歩くのが気持ちよい。汗さえかく。わたしとわたしに関わりがあるひとたち、そして世界の平安と健康を祈る。
今年は書きたい。闇をつかむように。世界が苛烈であればあるほどに書く。打つように、筆触の音を聴いて。それは物質的に。そして本を読み、感想を交わし、対話したい。もっと魂を打って。哲学対話も解放への、あたらしい世界への始まりのきっかけになるはすだ。そこにむかって走るだろう。