対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

がんセミナー(がんカフェ)へ参加しました。

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別府から岡山まで、がんカフェに参加するために出向きました。

 

このがんカフェは、哲学カフェを展開するカフェフィロさんが

共催しているイベントで、「第2の患者」と呼ばれるがん患者のご家族を

中心に集めての語り合いの場でした。

 

私自身、第2の患者である当事者であることと、このカフェのファシリテーション

会の雰囲気などを知りたくて参加しました。

 

今週末に、私も「医療や看護、介護関係者の方の哲学カフェ」を主催するので、

事前の心構えとしても学ぶところが多かったです。

 

【ご案内】「介護・看護・医療関係者の方のてつがくカフェ 7.27」 - 対話と人と読書(哲学カフェ大分)

 

 

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岡山はあらゆる場所に桃太郎が…。

 

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きらめきプラザという会館で開催されました。

駅から歩いて15分くらいのところの施設で、いろんなセミナーが行われていました。

 

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主催はひっしーさん(菱沼さん)が代表の第2の患者すろーす。

ひっしーさんはフリーの看護師さんで、コミュニティナースとして岡山で

活躍されています。コミュニティナースという名前にも興味をもちました。

いただいた名刺にはコミュニティメディストと書かれていました。

臨床哲学と地域コミュニティの連関について考えます。

 

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前半に黒田医師のがんの概論の話がありました。

医師は第2の患者のケアに基本関わることがないとのことですので、

こういう場に医師の方を呼ぶというのは大きなことに思えました。

 

がんの告知を受けた後の受容の心理プロセス、

衝撃・ショック→防衛的退行(否認・逃避)

→承認(怒り、抑うつ)→受容(新しい自己への親しみ)

これは一直線のものではなく、行きつ戻りつしながらゆっくり時間をかけて

進むという話も。

 

医師のセミナーの後、対話に入りました。

コミュニティーボールが自分の所に来たら、話します。

今回はテーマのような「問い」が対話の中心にあるわけではなかったので、

いろんな方向性の話があって、参加者の独白が多かったように思えましたが、

ファシリテーターの松川さんがよく論点を抽出して、対話の場に戻している

ところが印象に残りました。

 

対話中に出てきた問い、

 

「がん患者の家族が集まらないとできない話はなんだろう?」

「病気を受容するとはどういうことか?」

「病人は特別なのだろうか?」

 

 

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ファシリテーターの松川さんはカフェフィロ副代表の方で、終了後お話をしました。

松川さんはいろんな場所でいろんな種類の哲学カフェを開催されている方です。

8月の哲学カフェ - 岡山のてつがくやさん 松川絵里

 

共著に『哲学カフェのつくりかた』(大阪大学出版会)があり、

私は哲学カフェを企画する際に熟読したものです。

ホワイトボードの活用法は、時系列で色を変えて書くとのこと。

自分も今度真似してみようかな。

たくさん勉強になりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

ソクラティク・ダイアローグ(簡易版)を体験する④ 尼崎へ

今回でソクラティク・ダイアローグの報告は終了です。

 

ソクラティク・ダイアローグは通常の哲学カフェとは違って、

みんなでテーマに対しての「答え」(結論)を出します。

ただし、これは合意とは違います。

 

4では答えを出すための探求をしました。

 

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ここの会場の利用時間が終了に近づいてきました。

 

今回のテーマ「やさしさとはなにか?」に対する「答え」(結論)をみなさんで

出していきます。

 

ひとつ目が、

「やさしさとは、その人が思うコミュニティに支えられた〈いい事〉を

 受信/発信側が共有すること。」 

 

ふたつ目が、

「やさしさとは、伝える側が、受け取る側が自分の責任であると、ゆだねること。」 

 

 

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第一会場だった西富松会館(公民館)から近くの喫茶店に移動して、対話の続きをしました。16:50すぎごろ。

 

 

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ここで3つ目の「答え」を出しました。

「やさしさとは、寛容であり心地よさである。」

 

これから、一番最初のみなさんが出した事例にさかのぼって、この「答え」が、

その事例に当てはまるか、見ていきます。

 

私が当初上げた事例は、

 

①オーガニックの専門店にはなにか〈やさしさ〉と呼びたくなるようなものが漂っていて、ただいるだけで癒されます。そこに働いている店員にも〈やさしさ〉を感じます。


②自分は人からやさしいと思われているようです。顔がやさしいとも言われます。だから辛口の発言をしたりすると顔に似合わないと言われたことがあります。

 

①は3つ目の答えに、②は1つ目の答えに当てはまるのかなと思いました。

 

ここで終了です。18:30です。

 

赤井さんによれば、

哲学カフェは終了後にモヤモヤして続きを考えることも多いのですが、

ソクラティク・ダイアローグは自分の提出した事例に戻って考えてみることが

できるとのことです。

 

みなさま、9時間半の長丁場でしたがお疲れさまでした。

 

 

〈全体的な感想〉

今回は私も含めて、参加者の大半が哲学カフェの経験をかなり積まれている方

だったので、うまく時間内にゴールまで、さほど大きな混乱もなく

辿り着いたのだと思いますが、哲学カフェ初心者の方が大半だった場合は、

かなり右往左往するし、答えまで行かないかもしれないなと思いました。

あと進行役の赤井さんの腕といいますか、上手に抑圧的にならないかたちでの

進行の仕方には目を瞠るものがありました。

関西のノリのようなものをベースに感じましたね。お疲れさまでした。





 



 

【開催報告】第58回 BunDoku哲学カフェ

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第58回目のBunDoku哲学カフェを開催しました。

※BunDokuは「対話と人と読書」とは別の団体です。

 

今回のテーマは「お金のために働く必要がなくなったら、あなたは何をしますか?」。

 

お金のために働く必要がなくなっても、なんらか社会との結びつきを求めて行く

という考えが多かったように思います。

社会的承認や、社会的価値、社会貢献といったように、「社会」という言葉が

対話のなかでたくさん出てきました。

社会と断絶する事の不安というのが一方であり、その逆に芸術家のように

自分自身が新たに価値を創っていく、社会の価値を自分寄りに変えていこう

という意見も聞かれました。

 

今回はテーマに多くの関心があったのだと思いますが、

いつも以上に多くの参加者がありました。

お金や労働については、また違った角度でとりあげてみたいと思います。 

ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

 

 

 

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【ご案内】「介護・看護・医療関係者の方のてつがくカフェ 7.27」

 

「介護・看護・医療関係者の方のてつがくカフェ 7.27」は現役の介護福祉士の方と話し合いながら形をつくっていきました。書店で介護や看護、医療関係の書棚の前に立つと、現象学レヴィナスといった哲学書でよく見られる言葉が背表紙に書かれているのが目につき、その親和性について考えることがありました。

 

哲学カフェに参加してくださっている友人で介護福祉士をされている今坂さんは、SNS上でご自身の介護の仕事について日々問いを立てられ、考えられて、介護と哲学をつなぐ作業をしています。その姿に感銘を受けた僕は、共に考えていく場をつくれないだろうかと提案し、大分ケア創生塾を主催されている阿部さんをはじめ、様々な方の協力の元、今回の企画に結実しました。
 
哲学カフェの対話(聴くこと、話すこと、考えること)はとても楽しい行為です。決してかた苦しい場ではなく、哲学の知識も必要ありません。聴くだけの参加でも構いません。医療や介護、福祉に携わる方のプラットフォーム的な場になれば幸いです。ご関心や疑問があればぜひご連絡ください。みなさんの参加をお待ちしております。Let's enjoy dialogue !   

 

 

◆新企画 〜医療・看護・介護福祉士のためのてつがくカフェ◆
 
テーマ:「人の最期を〈看取る〉とはどういうことだろうか?」
 
◆推薦文◆  
例えば、誰かを看取ったとき、言葉にならなかったもの、話し足りなかったもの、自分のなかに未だ残っているもの。
そういう、容易には言葉にならぬものを語り合うことで私達のケアはまた新たな価値を産み出していくものと思います。
哲学カフェはそんな一歩を支えてくれる場のひとつです。

介護福祉士・介護支援専門員 今坂正和 
 
 
○日 時:7月27日(土)18:30-20:45
○場 所:大分市内中心部
ファシリテーター:志水(「対話と人と読書」)
○企 画:今坂(介護福祉士)・志水
○対 象:医療や介護、看護の仕事に就かれている方。また今回のテーマに関心のある方
○参加費:¥1,000円(会場費、飲食代、運営費含む)当日受付でお支払いください。
○主 催:対話と人と読書
 
 
お申し込み、お問い合わせはホームページよりお願いします。

【開催報告】先生のためのてつがくカフェ 7.13

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「先生のためのてつがくカフェ」を初めて開催しました。10名ほどの教育関係者の方にお集まりいただきました。普段はファシリテーターとしてあまり緊張しないのですが、今回は少し緊張しました。

 

哲学カフェは、様々な属性にある方を集めて(あるいはその属性を明かさずに)そのなかで対話するというのが一般的なスタイルかと思いますが、今回は〈学校や塾の先生といった教える立場にある方、また先生を目指されている方〉といった属性を絞ったかたちで参加者を募りました。

 

哲学カフェには、もともと先生をされている方の参加者が多く、また学校や教育との親和性も高い。今回の会を共同で企画しました現役の先生のTさんは学校での「対話の不在」というものを一つの課題に挙げられていましたので、なんとか先生自身が哲学対話というものを体験されてみて、その面白さや重要性に気付く場になればいいなと考えました。

 

今回とりあげたテーマは企画者のTさんが考えられた、「私から〈先生〉という権威をとったら何が残りますか?」でした。

 

参加者の方には事前に、今回のテーマに対して考える事をメールで文章にして送ってもらい、それをベースにして対話に入っていきました。

 

権威というものがそもそもあるのかという問いや、権威もまた重要であるという見方、そして「人格」という言葉がたびたび出てきましたが、この「人格」というものをはたしてどのように醸成していくのか、先生だけに求められるものなのか、たくさんの問いが出てきました。

 

他に「幸福」「自己肯定感」「投資」「サービス」「教えたい人は先生に向かない?」「イエナ・プラン」「感謝」といった言葉が私の印象に残りました。

 

通常の哲学カフェは、会を開催するとそこで終わりですが、この会は対話の深掘りをしていくため、あと少し続きます。「書く」という要素を哲学カフェに取り入れたいと以前から思っていまして、以下の宿題をすることで〈みんなで考える/一人で考える〉を完遂したいと思っています。
 
以下宿題です。
 
 
***
権威なき時代(と仮定します)の先生の在り方について、あなたにとってどういう先生が理想ですか?文章の長さは短くても長くても、詩のような形でも、箇条書きでも構いません。できるだけ自身の経験に即しながら書いていただけると嬉しいです。期限は来週の日曜日7/21の午前中までといたします。そして実名は伏せますので、それをみなさんとシェアして終わりとしたいと思います。(シェアが不可な方はお知らせ下さい)お忙しいことと思いますが、よろしくお願い致します。

 ***

 

今後とも「先生のためのてつがくカフェ」は継続した会にしたいと思っています。ご参加されたみなさま、ありがとうございました。

 

 

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【ご案内】別府鉄輪朝読書ノ会 7.28

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七月の別府鉄輪朝読書ノ会の案内です。

七月は沖縄文学の『水滴』目取真俊をみなさんと読んでいきたいと思います。

7.28(日)10時より「ここちカフェむすびの」さんにて開催します。

お申込みはホームページよりお願いします。

 

 

内容紹介

ある日、右足が腫れて水が噴き出した。夜ごとにそれを飲みにくる男達の正体は?――沖縄の過去と現在が交錯してゆく芥川賞受賞作

内容(「BOOK」データベースより)

徳正の右足が突然冬瓜のように膨れ始め、親指の先から水が噴き出したのは六月半ばだった。それから夜毎、徳正のベッドを男たちの亡霊が訪れ、滴る水に口をつける。五十年前の沖縄戦で、壕に置き去りにされた兵士たちだった…。沖縄の風土から生まれた芥川賞受賞作に、「風音」「オキナワン・ブック・レヴュー」を併録。

 

 

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