対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

ソクラティク・ダイアローグ(簡易版)を体験する③ 尼崎へ

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ソクラティック・ダイアローグはいよいよ中盤にはいっていきました。

 

3. 中核的な判断

選ばれた例について、気になったことや話し合ってみたいことを、

「問い」の形にして模造紙に書き出します。

 

 

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さらに出された問いから、〈主となる問い〉を選び、その答えを探してグループの

対話を続けます。

 

ここでは、

「やさしさは相手に伝わらなければ、やさしさになり得ないのか?」が選ばれました。

 

この問いに対する対話はいつもの哲学カフェが始まったかのようで、

自分も調子をつかめたように発言が自然とできるようになりました。

このあたりでもう16時近くにいっていたと思います。

 

次回はラスト④つづきます。





 

ソクラティク・ダイアローグ(簡易版)を体験する② 尼崎へ

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ソクラティク・ダイアローグでは、最初に全員で今回のテーマ(「やさしさとはなにか」)に関する事例をあげることから始まります。これはこの会に申し込んだ際に、事前に考えたものをメールで送るやりとりがありました。時間の節約だと思います。

 

そしてみなさんの挙げた例のなかから、ひとつだけ選んで対話の材料とします。この過程は非常に大事なようで2時間以上かけたと記憶します。

 

そしてもっと大事なことは、選ばれなかった事例は捨てるということではないということです。最後に出される結論(答え)が妥当なものであるのかどうか、再びこのみんなで出し合った例に戻って考えてみることになります。

 

ちなみに僕が出した例は以下のようなものでした。

 

オーガニックの専門店にはなにか〈やさしさ〉と呼びたくなるようなものが漂っていて、ただいるだけで癒されます。そこに働いている店員にも〈やさしさ〉を感じます。
 
 
自分は人からやさしいと思われているようです。顔がやさしいとも言われます。だから辛口の発言をしたりすると顔に似合わないと言われたことがあります。



 


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対話の材料となる例として、「関西と関東のやさしさの違い」について書かれた事例が選ばれました。はじめは簡単な文書だったものを、この例を出された本人に根掘り葉掘り聞くことで、より詳細な例としていきます。むろん本人の話せる範囲内でのことです。ここにもけっこうな時間をかけたように記憶します。

 

ソクラティク・ダイアローグ(簡易版)を体験する③ 尼崎へにつづく

 

 

【ご案内】先生のためのてつがくカフェ 7.13

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(朝の光に凛としてむかう白鷺が電線にとまっていました)

 

 

哲学カフェを大分で5年間開催していまして、はじめのうちはただ闇雲にといいますか、場を運営するだけで精一杯だったのが、徐々に余裕もできて、参加者ひとりひとりのディティールに気付いていくようにもなりました。

 

哲学カフェになにを求めて参加しているのかは個々に違いますが、今とはまた違った形での哲学カフェの社会的展開を模索したいという方との出会いもあり、ここ2、3ヶ月くらい準備していました。

 

新しい企画の哲学カフェは何名かの現役の先生の方と話し合いながら形をつくっていきました。2020年から実施される新学習指導要領が目指す「主体的・対話的で深い学び」を具現化するにはどうしたらいいのか。まずは先生方が〈対話〉というものを体験する場があってもいいのではというところが始まりです。簡単に言えば、対話に関心のある先生たちが集まって話せる場をつくってみようみたいな感じです。

 

今回は急な告知になりましたが、この企画は1回限りのものではなく、今後も継続してやっていく予定です。どのようなスタイルがベストなのかもまだ手探り状態ですが、もしご関心のある方がいらっしゃいましたら、参加していただけると嬉しいです。告知はこのブログでもしていきます。

 

 

◆新企画 〜先生のためのてつがくカフェ◆
 
テーマ:「私から〈先生〉という権威をとったら何が残る?」
 
教師は、無意識のうちに「先生」という権威に守られていることがありませんか。例えば、「先生が言ったこと」は聞き従うのが当然とされていたり、「先生の評価」が学校では絶対とされたり・・・。しかし、今は昔に比べ「先生」の権威が失われてきているのも事実です。「私」が「先生」という権威を失ったとき、何をもって自分の考えを学生(生徒)に訴え、納得させることができるのでしょうか。皆さんと一緒に考えていきたいと思います。(戸上)
 
○日 時:7月13日(土)14:30-16:45
○場 所:大分市内中心部
ファシリテーター:志水(「対話と人と読書」)
○企 画:戸上(日本語教師)・志水
○対 象:学校などで教える立場にある方、先生、塾の講師、また先生を目指している方、教育に関心のある方など
○参加費:¥1,200円(会場費、飲食代、開催前、開催後1週間程度のメールなどによるフォロー、運営費含む)当日受付でお支払いください。
○主 催:対話と人と読書
 
 
お申し込み、お問い合わせはホームページよりお願いします。
 

ソクラティク・ダイアローグ(簡易版)を体験する① 尼崎へ

 

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先日、あまがさき哲学カフェを主催されている赤井さんが開催したソクラティク・ダイアローグというものを体験するために、はるばる別府から兵庫尼崎まで足を延ばしました。

 

以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

 

本来のソクラティク・ダイアローグは開催期間が1週間くらいあるらしいのですが(ヤベェ)、今回は簡易版(体験版)と言うことで朝9時から18時30分までの時間を使ってのものとなりました。それでも丸一日の対話の場は初めてだったので、最初はびびりましたが、参加してみると中だるみも特になく、夜まであっという間でした。終わった後はさすがに疲れましたが。

 

 

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ソクラティク・ダイアローグってなんだろうということで、赤井さんのまとめられたソクラティク・ダイアローグ(以下SD)と通常の哲学カフェの違いについて書かれたものがありますので、多少表現を付け加えてここに転記します。

 

 

①テーマ設定は、

哲学カフェもSDもテーマを設定します。

 

②目的は、

哲学カフェは「対話的態度の涵養」であるのに対し、

SDは「テーマについて普遍的な概念を得る」です。

 

③途中参加・途中退場は、

哲学カフェはOKである場合が多いのに対し、SDは一応NGとなっています。

 

④参加の事前予約は、

哲学カフェは不要な場合もありますが、SDは必要です。

 

⑤発言は、

哲学カフェは発言のするしないは自由で、

SDは一人でも発言しなければ進みません。

 

⑥結論は、

哲学カフェは結論を求めませんが、

SDは明確に求めます。

 

⑦合意は、

哲学カフェもSDも合意の形成はしません。※結論との違いに注意。

 

⑧問いは、

哲学カフェは散発的に現れるのに対し、

SDは戦略的に問いを立てていきます。

 

⑨問いに対する吟味は、

哲学カフェは吟味します。

SDは徹底的に吟味します。

 

 

 これをみても、哲学カフェとSDではずいぶんその性質が違うのが分かりますね。

 

 

その②につづく

 

 

 

大人の国語

 

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大分で国語の専門塾を展開されている紫雲国語塾さんにて〈大人の国語〉という授業を受けてきました。

 

〈大人の国語塾〉とは、大学や学校などを卒業して社会に出たのち、あらためて国語の大学受験問題を解いて、国語とは何だろうかと考える会です。

 

今回は第二回目の開催で、ジャンルは「評論(随筆)」でした。

40分くらいの時間を与えられて、関東の某有名私大の試験問題を解きました。

 

もうだいぶ前の話になりますが、僕は大分の普通科高校を出て上京をし、

1年間新聞奨学生をしながら、千駄ヶ谷にある予備校の河合塾に通って

浪人生活を過ごしていました。

 

そこでの予備校の授業は、田舎から出てきた青臭い青年の僕にとって

なにもかも衝撃的で、当時の最先端の哲学や文学、社会情勢を

高校の先生とはまったく別次元の話術、授業転換力をもった超一流の予備校教師が

授業の合間や脱線と言う形で教えられ、僕は乾いたスポンジが水をぐんぐん

吸水するように、食い入るようにそれらの話を熱くなって聴いていたのでした。

 

浪人生活は回り道だったかもしれませんが、

僕にとってその一年間は、人生のなかでも非常に大きく重要な体験で満ちており、

大学へ入学したときにストレートで入ってきた学生との世界観、価値観の違いに

驚くこともありました。

 

今回の企画で、久しぶりに受験問題を解くなか、いくつかの大きな発見が

ありました。

受験生の頃は、問題を作成する側の人を罠にはめようとする意地悪な人間としてしか

イメージしていませんでしたが、今になって問題に触れてみると、

そこには受験生へのエールやたくさんメッセージが含まれており、

意地悪どころか受験生への愛情にあふれたものだったことに気づきました。

年を経て出題者の側に立つことができたともいえます。

 

その大学が考えに考えた問題は、

大学で何を学ぶのか、大学とは何かというエッセンスがたぶんに含まれています。

これを読んでいる方も機会があれば、大学の特に現代文の過去問題を解いてみると

大きな発見があるかもしれません。

 

紫雲国語塾さま、たのしい企画をありがとうございました!

また次回もお伺いしたいと思います。

 

 

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【開催報告】第三十八回 別府鉄輪朝読書ノ会

 

こんにちは。令和元年六月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

 

いつも作品に関連した軽食を考えてくださっていた田中さんが今回で最後の日でした。みなさんと今までの労をねぎらいました。ありがとうございました。

 

 

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田中さんはレシピを書かないというので、カード型のレシピをプレゼントしました。今度は鉄輪でピロシキのお店を出すそうです。たいへん楽しみです。

 

 

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今回とりあげた作品は『ソーネチカ』ウリツカヤ(新潮クレスト・ブックス)でした。不幸な出来事が起こっているのに、ソーネチカは静かにわきあがる幸福感を噛みしめる。外に起こる出来事と内面は必ずしもリンクしない。暴力のないやさしい世界が広がっていました。

 

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河野さんのドリンクは、「白」をイメージしたヨーグルトにマシュマロ、アイスクリーム。雪の白とお砂糖好きな登場人物を意識したそうです。

 

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田中さんラストの軽食はピロシキ!肉じゃがなどはいっていました。お腹いっぱいになりました。美味しかったです。

 

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体制は変わっても、その作品に関連したドリンクと軽食のついたこの唯一無二の読書会は続けて行きます。 今後ともよろしくお願いします。

 

次回は7.28(日)沖縄の過去と現在が交錯する傑作『水滴』目取真俊(文春文庫)を読んでいきます。

 





 

 

【開催報告】第57回 BunDoku哲学カフェ

 

 

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BunDokuという別団体で活動しています第57回目のBunDoku哲学カフェを開催いたしました。初参加者合わせて18名の方々にお集まりいただきました。ありがとうございました。

 

今回のテーマは某ユーチューバーさんの不登校をきっかけにした、「子供が学校に行きたくないなら、行かなくてもいい?」でした。

 

学校というものの機能として、「学力」をつけるための場所と「社会性」を身につけるための場所の二つが大きくあり、学力をつけることに関しては他でも代替可能だが、社会性を身につける場所としては現状学校がいちばん優れているのではという考えが多かったです。

 

そもそも社会性ってなんだという話にもなり、コミュニケーション能力ということがあげられました。そのコミュニケーション能力も世渡りのスキルから自分の本音を伝える力、恋愛関係におけるものまで、人が他者とともに生きるにあたってつきまとうすべてがあるようでした。

僕自身としては対話の前は、学校はそんなに無理して行かなくてもいいんじゃないのと考えていましたが、対話が終わってからは、学校は時代遅れのものになりつつあるシステムだが、まだまだ利用価値のあるコスパの良いものだというふうに考えるようになりました。 



ご参加されたみなさま、ありがとうございました。


次回は7月14日(土)。テーマは「お金の為に働く必要がなくなったら、あなたは何をしますか?」です。ご興味ありましたら、またご参加ください。


◆対話中に出てきたキーワード◆

 
「外集団同質性バイアス」…自分の所属する集団の多様性が他の集団よりも高いとみなすバイアスこと。

「中間共同体」…個人の生活領域と国家のような大きな公をつなぐ半ば公な共同体。

オルタナティブ」…代替となるもの。

「異質性への寛容が民主主義」…マハトマ・ガンジー曰はく「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」

「無敵の人」…失うものが何もないので、一般人を巻き込んで犯罪を起こすことに躊躇のない人。

「積極的不登校」…学校のあり方や行くことに疑問を感じ、考えて行かないことを自ら選択すること。