対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】哲学カフェ大分 10.19 「恋愛感情とはなにか」

 

 

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先日ある方のツイッターで昔の辞書についての引用がありました。

昔の辞書には恋愛についてこのようなことが書かれています。

 

新明解国語辞典(第五版)「戀愛」
「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した氣分で二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜する状態に身を置くこと。」
 
恋愛あるいは恋愛感情について、みなさんと考え対話したいと思います。哲学の知識は必要有りません。聴くだけの参加もOKです。
 
 

テーマ:「恋愛感情とはなにか?」

 

日時:10月19日(土)19:30~21:45
会場:大分市
費用:500円(会場費・運営費) 
定員:20名程度 
※哲学に関する知識は必要ありません。気楽にご参加ください。聴くだけの参加でも構いません。一緒に考え、聴き、お話ししましょう。

 

 

【開催報告】先生のためのてつがくカフェ 9.21

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第2回目の「先生のためのてつがくカフェ」を開催しました。

 

今回のテーマは「校則はなぜあるの?」。
 
〈校則〉という視点から学校や先生、学生、保護者、地域、日本の風土、国民性といった大きな広がりの中で考えることができました。
 
対話中に出てきました、キーワードをいくつか挙げてみます。
 
自由、根拠、覚悟、信頼感、意見を言わない、やってみる、理念、道徳、責任、先生を敬う、自立、幸福、パンチパーマ、国民性、支配、評価、話し合う場がない、教師の時間がない、古い価値観、差別など。
 
前回の先生のための哲学カフェでも出てきましたが、フィンランドの教育についての話が出ました。個々の幸福の追求ということがキーになっているようですね。ただフィンランドの教育というものが、最高の到達点なのか、日本にとってどうなのか、国民性との関連のなかでも模索していく必要はあるでしょう。
 
 
 
 
 
 
***
この会はより対話の深掘りをしていくため、あと少し続きます。お付き合いいただければと思います。「書く」という要素を哲学カフェに取り入れることで、〈みんなで考える/一人で考える〉を完遂したいと思っています。
 
 
以下宿題です。
 
対話の中で、校則云々の前にどういった人間を育てたいのかという理念が先であるという意見がありました。もしあなたが新しく学校をつくる立場になったときに、どういった理念を立ち上げるのか、今回の対話をふまえて、考えてみてください。文章の長さは短くても長くても、詩のような形でも、箇条書きでも構いません。できるだけ自身の経験に即しながら書いてみてください
 
 
期限は来週の日曜日9/29いっぱいまでといたします。そして実名は伏せますので、それをみなさんとシェアして終わりとしたいと思います。(シェアが不可な方はお知らせ下さい)お忙しいことと思いますが、よろしくお願い致します。
 
 
 

【開催報告】第60回 BunDoku哲学カフェ

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60回目のBunDoku哲学カフェを開催しました。

今回できりよくBunDoku哲学カフェは終了し、哲学カフェ大分に移行します。

いままで、ありがとうございました。

 

 

さて今回のテーマは「差別はなぜなくならないの?」でした。

人間としての生存本能としての差別、異質性の排除、マウントをとりたい、

集団の安定のため差別を必要としてきた歴史、スケープゴート等を踏まえて

また自分のなかにある差別心を認めながら、

それとどういうふうに向き合っていくのか語られました。

 

 

差別する側の視点から語られることが多かったので、

差別される側の視点に切り替えてみると、

差別される本人が戦うのか、周りがそれは差別だからやめろと指弾するのか、

またある方は「仲間を探すこと。私が見ているストーリーを語ること」を

解決策として挙げられました。

 

 

対話中にポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)はいまいちという意見もありましたので、wikiを貼っておきます。たとえば看護婦を看護士と言い換えたりして、中立的、公平的な表現を使用していくものです。
 
 
特にメディアが自主規制を通してポリコレを実践、普及してきたと思いますが、対話中の指摘にあったように隠されることでかえって歪んだ認識が生じる面があるのも事実で、ポリコレ以前の世界は私にとって昭和的豊穣の記憶が強く、野蛮で人間まるだしのエネルギーを感じるのですが、される側の視点に立つと言葉狩りのようになんでも排除してまうことになりがちで。どういう差別があったのかあるのかというのを知ることと隠してなかったことにするのは別物で。このあたりことももっと話してみたかったですが、またの機会に。

 

また差別される側のカミングアウトは必要なのかという問いも、

別の機会に考えたいと思います。

 

 

ご参加ありがとうございました。

次回は10月は「恋愛感情」について考えてみたいと思います。

お申し込みはホームページか配信するメールの返信からお願いします。

組織は変わっても、社会のなかにいろいろな対話の場を設けていきますので、

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

dialogue-oita.jimdofree.com

 

 

花腐し

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哲学カフェが5年目で60回をむかえて、

新しく独立して個人のレーベルで展開していくことにする。

そのお祝いに花束をいただいた。嬉しかった。

 

長く続いているからといって偉いわけでもないし、

蓄積や歴史みたいなものもあまり関心がなく、

一回一回をその都度やってきただけという感じだが、

飽き性の自分が継続して楽しんでやっているというのが重要で、

そこに内的な必然性や強度があり、また不断の更新があるから、

続けていられるのだと思う。毎回一からの感じが良い。

 

あとは他者との関わりということが大きい。

他者はべったりとしているときよりも、

哲学カフェのような間合いの中でこそ見出される。

 

 

 

コミュニケーションの重要性と厳しさとがこの本から伝わってくる。安易に対話という言葉が用いられる今日において、大変意味深いものである。そもそも他者と関わることとは、人間が生きていくうえで避けられないことであり、またごくありふれたことでもある。しかし他者と関わるということは、決して生易しいことではなく、大変な覚悟が必要である。人と人との間には必ず暴力の生まれる可能性があるからである。相手にコンタクトをとることは、自らを危険に晒すことであるともいえる。人はこの暴力性と攻撃誘発性とを自覚しなければなるまい。相手に語りかけることの真摯さと難しさが伝わってくる。主体が他者によって形成されるといった議論もまた、示唆に富んでいる。


確かに訳はよくない。拙い語学力で原書も読んでみたが、やはり困難であった。数ページ日本語にしてみたが、こなれない。そう意図された本なのだろう。しかし読んで欲しい。生きるとは他者とのかかわりの中で意味を成す(当たり前だね)と考えている私にとって、もっとも推したい本である。

 

ヴァンセンヌ中納言さんの書評『存在の彼方へレヴィナス

 

 

 

 

部屋に花々の生きた香りが充満して、むせるような生気を感じる。

花は食べられるわけでもなく、道具のように役立つわけでもない。

生命だから期限もある。

けれどそれゆえ「思い」というものを純粋にこめることができる。

命そのものを贈っているとも言える。

 

 

 

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中川幸夫の花と言葉。

気焔空間、耳と耳の間、冴冴、赫い葩、おさな、弥生、叫ぶ花、風信、燭、ほほえみ、落花に心あり、天のこのは、懶惰、奇襲、鬼気、誇り高く、ひとおと、知の嘆、たにごえ、暁へ、魔の山、決別、連繋の肖像、風の塔、泉、野槌、森へ、自華像、打水、蹲る、水を、無言の凝結体、死の島

 

中川幸夫は白菜を活けたことにより、家元と衝突し池坊を脱退。流派を去った。

 

 

 

そういえば、女の子の花屋になりたいという夢はどこにいったのだろう。

刺さった矢はまだ揺れているか?

 

 

 

【開催報告】哲学ウォーク@鉄輪温泉その4

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鉄輪はフォトジェニックな場所が多く、

みなさん発表が終わった後は解放されたのか、写真をたくさん撮っていました。

 

 

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最後の発表者です。

1時間20分くらいの哲学ウォークでした。

 

 

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全員の発表が終わり、

スタート地点のここちカフェむすびのに戻りました。

みんなでドリンクを注文し、しばしクーラーの効いた部屋で涼みました。

 

 

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イチジクの果肉がごろっと入った炭酸ジュースを飲みながら、

今回の哲学ウォークの振り返りをしました。

 

みなさん、わりと普段から歩いてらっしゃる方が多いようで、

起伏の多い鉄輪の町が歩いてきつかったという感想はなかったです。

 

 

 

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みなさんの引いた哲学者の言葉です。

歩いて持っていても、汗などでぼそぼそにならないよう

厚めの紙にプリントアウトしました。

 

 

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Oさんの引いた言葉。

 

 

人間には、必要なもののためより不必要なもののために努力し、

働こうとする気持ちが強い。

 

エリック・ホッファー

 

 

 Oさんは蔦の絡まる廃墟の館と出会い、

「無常」というコンセンプトを抽出しました。

人間には必要とされる建築物を嘲笑うかのように絡まる蔦やシダ植物を見て、

思いついたようです。不必要な廃墟に美しさを感じたりする人間の側面を

言い当てているようでした。

 

 

 

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Mさんの引いた言葉。

 

 

怪物と闘うものは、その過程で自らが怪物とならぬように

用心しなければならない。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 

ニーチェ

 

 

Mさんは怪物と鉄輪の地獄を結び付けつつ、癒しのマッサージ店が

隣にあったことから、「超越」というコンセプトを考えました。

 

 

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Mさんの引いた言葉。

 

 

語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。

 

ヴィットゲンシュタイン

 

 

Mさんは今は封鎖され、隠された温泉源跡を眺めながら、

もはや語り得ないものについて思いを馳せ、

「抑制」というコンセプトを考えたようです。

 

 

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Iさんの引いた言葉。

 

 

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。

そのなかに”落ちる”ものではなく、”みずから踏み込む”ものである。

 

エーリッヒ・フロム

 

 

 

前述したようにIさんは谷の湯の落ちていく半地下の入り口を見て、

その温泉を享受するにあたり、踏込むことが重要だと考え、

それが「幸せ」につながるというコンセプトを生みだしました。

 

 

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Yさんの引いた言葉。

 

 

貴重なものが傷つきやすいのは美しい。

傷つきやすさは存在の微(しるし)だから。

シモーヌ・ヴェイユ

 

 

 

腐食し錆びついた温泉の配管を見て、「傷つく」というコンセプトを考えました。

温泉の通る配管は定期的に交換しないと使えなくなりますが、

その傷つきやすさこそが温泉の存在を知らしめるものであり、

また腐食した姿も美しい風景となっているとの見方でした。

 

 

 

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今回、みなさんの考えられたコンセプトは、

「傷つく・超越・幸せ・無常・抑制」

 

この集まったコンセプトからストーリーを作り上げ、

鉄輪の町を描写することもできるでしょう。

 

そのワークをやって、哲学ウォークの終わりとする場合もあるようですが、

タイムオーバーとなり、今回はそこまでできなかったです。

 


こうして振り返ってみると、狙い澄ましたわけではないのに、

選んだ哲学者の言葉と鉄輪の風景がからみあい、

コンセプトがうまく生み出されていくことに驚きを隠せません。

歩くことが創造性につながっているという見方もできるでしょう。

 

あと本音を言えば、僕も案内人ではなく、

一参加者として、考えながら歩いて発表したかったですね。

 

哲学カフェのような「結論を出さない」という方向性とは異なりますが、

哲学ウォークをうまく方法化すれば、小説を書いたり映画を作ったりといったときの

イデアやテーマ出しとしても、活用できるかもしれません。

 



「哲学ウォーク@鉄輪温泉」の開催報告は以上です。


今回はオダサンに撮影協力してもらいました。

 

みなさん、ご参加いただきありがとうございました。

 

今回の反省点を踏まえつつ、

 

また別のロケーションを探して開催したいと思います。

 

お楽しみに。

 

 

 

【開催報告】哲学ウォーク@鉄輪温泉その3

 

哲学ウォークを開始して、30分を過ぎたころから、

ぽつぽつと手が上がり、「発表」がされるようになりました。

 

 

③自分の引いた哲学者の言葉とぴったりとくる風景だと思ったら、

「はい!」と手を挙げて、他の参加者の歩みを止めてください。

そこであなたの引いた哲学者の言葉を発表してください。

 

 

 

歩くときは沈黙をし、話したいときは歩みを止めます。

 

 

 

④あなたの選んだ風景と哲学者の言葉がどういう風にぴったりなのか、

他の参加者に説明をします。

そして、そこから抽出したコンセプトを発表してください。

 

 

 

コンセプトとは、

言葉や風景から受け取った、あなたの解釈や考えを総合的にまとめたものです。

 

 

 

⑤発表を受けて、他の参加者の方は質問をしてください。

いくつかの質問のなかで、発表者は一つだけ選び、その問いについて

考え続けてください。すぐに答えることはしません。

 

 

 

みなさん自分の事で精いっぱいということもあり、

この⑤の質問がほとんど出なくて、苦労しました。

そして僕は途中で諦めました。。

 

通常の哲学カフェでは、話さなくてもOKですが、

哲学ウォークは話してなんぼみたいなところがあります。

沈黙することと話すことのメリハリがはっきりするといいですね。

 

 

この⑤が出ないと、発表者は発表したら終わりになってしまい、

後のウォークが、単なる散歩になってしまいます。

 

 

発表が終わっても、まだ考えることが続くように

仕掛けるのがファシリとして重要です。ここが反省点でした。

 

 

 

 

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ちょっとピンぼけ。

 

Iさんが引いた言葉は、

 

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。

そのなかに”落ちる”ものではなく、”みずから踏み込む”ものである。

エーリッヒ・フロム

 

 

 

Iさんが、ここだと思った風景は谷の湯で、ここは谷の中にあるような

半地下の洞のようなところに潜って入るスタイルの温泉で、

そこから、〈能動性〉と〈みずから踏み込む〉ところを想起したとのこと。

 

 

そして、Iさんが考えたコンセプトは「幸せ」。

落ちるのではなく、意思を持って踏み込んで入ることで、

温泉に入る幸せを享受できるという考えに至りました。

 

 

 

 

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参加者の選んだ風景の前で写真を撮ります。

後で振り返りに使います。インスタントカメラなんかあるといいなあと思いました。

 

 

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Oさんもみずからの風景を発見し、発表されました。

 

 

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自分の風景が見つかるまで歩きます。

 

 

哲学者の言葉と向き合う、移りゆく風景と向き合う、

そこにコンセプトが生み出される。

 

コンセプトが引き出されるときの、言葉と風景の比重や、

関係性、関連性はみなさん違います。

 

風景が見出されて初めてコンセプトが生まれる場合もあれば、

哲学者の言葉のなかにコンセプトを見出し、それに合った風景を探す場合もあります。

 

 

 

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鉄輪はちょうど湯あみ祭りの準備が行われていました。

 

 

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1時間くらいは歩いたでしょうか。

 

しばし渋の湯の前で休憩しました。

 

つづきます。








 

【開催報告】哲学ウォーク@鉄輪温泉その2

 

 

 

ファシリテーターのナビゲーションで鉄輪の町を歩きます。

 

基本的に歩いている時はサイレント・ウォークです。

喋ってはいけません。黙々と歩きましょう。

 

ポイントポイントでファシリテーターが立ち止まって、

その場所の説明をすることがあります。考えるヒントにしてください。

事前に歩くルートを知ることはできません。

ともに歩む哲学者の言葉を任意に選ぶこともできません。

未知の状況のなかで、偶然性を受け入れながら、思索をしてください。

 

 

 

 

 

 

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歩く、歩く、

 

黙々と歩く。

 

でも頭のなかはフル回転しています。

 

自分自身の対話(Inner Dialogue)です。

 

僕には、なにかみなさんが巡礼者のようにも見えました。

 

考えに集中できるように、そして安全面もかんがみて、

なるべく車が通らないような道を選びました。

 

 


哲学ウォークは

 つづきます。。