対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

哲学対話DE交流 5.21「高校生×市民」〜未来の公民館をみんなで考えよう〜

 

 

別府市教育委員会が主催する【湯のまち学びのカレッジ】の講座を担当することになりました。タイトルは哲学対話DE交流「高校生×市民」〜未来の公民館をみんなで考えよう(全3回)す。身近に高校生がいましたら、薦めていただけると嬉しいです。

 
哲学対話の手法を使い、主に〈問い〉に力点を置きながら、地域の課題を発見し、未来の公民館とはどのようなものなのか、みなさんと考えていきたいと思っています。私は地域デザインの専門家ではないので、私が教えていくというスタイルではなく、ファシリテーションしながらみなさんと一緒に問い考えていく、行き先が未知の予定調和のない学びの場です。哲学の知識は必要ありません。参加費は無料です。
 
 
こんな方におすすめです。
・哲学対話に興味がある方
・考える力、問う力をつけたい方
・議論ではなく、対話に興味がある方
ファシリテーションに興味がある方
・対話の場作りに関心のある方
・他者と協働して地域の課題について考えたい方
・社会参画をして地域に愛着をもちたい方
などなど
 
興味のある方は添付のチラシのQRコードか北部地区公民館(0977-67-8300)に直接ご連絡ください。
 
 

日付のない日記

 



 

「港に入ったと思っていたら沖に放り出されていた」

 

ドゥルーズフーコーの仕事を評して使うライプニッツの言葉。

 

 

 



 

月曜日

・よい仕事に出会えたこと

・よいパートナーに出会えたこと

・よい趣味に出会えたこと

 

人生この3つのうちどれか一つあればよい人生だと言えるという言葉を目にした。

いまの自分は三つとも充たされた人生を送っているとも言えるかもしれない。

でもたとえ三つのうち一つも充たされなくても絶望する必要はないと思う。

かつての自分がそうだったような、文学であったり哲学であったり映画であったり、

なにかこの世界との結び目があれば、生きていけるのではないか。

 

 

 

火曜日

音楽を聴いているとき、一枚の布地に織り込まれるように、

世界と私がなだらかに繋がるような感覚を覚える。

決して世界から疎外されるというのではなく、包まれるというのとは違うのだけど、

本当に一枚の布地に織り込まれる感覚。

それは音楽にしなかい力だと思うけど、

それに似た場所がたくさんあるのを知っている。

そういう場所を自分も作りたい。

フリースクールもそういう場所でありたいと思う。

 

 

水曜日

 

 

「子猫たちを思い出すこともある。蜂になっただろうか、花になっただろうか、それともその中間だろうか。それがなんであれ、きっと美しいものになっているはずだ。」

ハン・ジョンウォン『詩と散策』

 

 

木曜日

日付はひとつの呪縛かもしれない。

 

 

金曜日

春の光が満ちる。

 

ある高校へ、案内を受ける。

クールな高校。

要望があれば動くけど、こちらからは動かない。

義務教育ではない。

その割り切りはある意味ではありかと思った。

 

 

Bareishotenさんへ。

本をいくつか買う。店主と話す。余白を感じる。

本をどこで買うかはとても重要なことだ。

それぞれに場所と本が結びついている。

 

 

土曜日

雨。

面談。

じっくり話す、聴く。

 

 

今の何万画素のデジカメより、昔の画素数の少ないデジカメの方がいい写真が撮れた。

細密になるほどに淡いが消えていったように思う。

 

 

高崎さんのカメノスである写真のワークショップに参加したいが、

日程的に合わない日もあり断念せざる得ないのが残念。

その対話的な進め方に大いに興味がある。

芸術は対話なのかという大きな問いもある

 

 

日曜日

お天気回復。

鳥が遠くで近くでたくさん啼いているのがすばらしい。

これもまた私と世界を均す音楽のようなものだ。

 

 

読書会の申込みを受けて、フィルターがかかって違うフォルダに紛れていた。

慌てて返信する。

 

 

町内の自治会長さんたちに頼んで、別府市教育委員会からの哲学対話の企画の

フライヤーを町の掲示板に貼ってもらう。町の掲示板はたくさんあることに気づく。

ここでもなにかできることがあるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【開催案内】第八十四回 別府鉄輪朝読書ノ会 5.28

 

 

 

藤さんはいいよな、おれと同じだけ残業したって家に帰ればああいう食べ物が頼まなくても出てきて、朝飯も昼の弁当も用意されていて、食べることを考えなくたって生きていける。

 

『おいしいごはんがおいしく食べられますように』高瀬隼子(講談社

 

 

 

 

 

 

◆「別府鉄輪朝読書ノ会 5.28 」
五月はアメトーーク!の読書芸人でも紹介された傑作おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子(講談社を読んでいきます。
 
第167回芥川賞受賞!

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。

職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。ままならない微妙な人間関係を「食べること」を通して描く傑作。


○課題図書:『おいしいごはんが食べられますように』高瀬準子(講談社
○日 時:2023年5月28日(日)10:00-12:00
○場 所:別府市鉄輪ここちカフェむすびの
ファシリテーター:しみず
○参加費:¥1,300円(運営費、むすびのさん特製のメニュー代含む)
○定 員:10名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:課題本を事前に読んで参加してください。
      5/25木までにお申込みください。
 
 
参加申し込みフォーム

ws.formzu.net


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マイ パブリック

紫丁香花の大きな樹

 

 

自由が出現したのは…彼らが「挑戦者」となり、自らイニシアティヴをとり、そのことによってそれと知ることも気づくこともなしに、自由が姿を現わすことのできる公共的空間を彼らの間に創造し始めたからである。

 

ハンナ・アーレント『過去と未来の間』

 

 

 

 

 

 

2023.4.17-23

月曜日

選挙カーのアナウンス

日本の民主主義の凝縮

これ以外にあり得なかったのかといつも思う

 

 

火曜日

選挙カーのアナウンス

わたしは選挙のバイトをしていたことがある

あの選挙カーのなかというのは、ハイでなければ居られない

政治家はなかなか狂人でもなければつとまらないと思った

 

 

水曜日

選挙カーのアナウンス

は誰に向けられているのか

 

 

外国籍、あるいは海外にルーツをもつ生徒に勉強を教える

ひとまず最終日

かれらとの間に関係性が築けたか

みんな私に話しを聞いて欲しかった

学校のこととか

勉強をしに来ているけれど、そちらの方もまた大事なことのように思えた

 

 

木曜日

選挙カーのアナウンス。

 

煌めく陽光

汗をかく 

こどもたちとボールを蹴る

 

 

金曜日

図書館へ。

新しい館長さんへご挨拶。

団体貸出というのがあるのを知る。

司書の資格をもっているのに、知らないことは当然まだたくさんある。

 

 

曜日がある

曜日にそって生きるとはどういうことか

すでに漱石の作品のなかにその問いがあった

曜日のない書きつけを書こうか

 

 

土曜日

選挙カー最後のお願い

 

 

来月担当する市民講座の構成を考え続けている

〈問い〉をどうデザインしていくのか

私ではなく、参加者が

公共について考え続ける

私あっての公、公あっての私

 

 

日曜日

別府鉄輪麻読書ノ会の開催。満員御礼。

7周年を迎えた。

今回は夏目漱石の『門』を読んだ。

よくこの読書会でとりあげる小説は難しい、読みづらいと言われる。

純文学だから、と答える。

それでも来てくれる。

 

純文学とは何か。私なりに考えていることを書くと、言葉の限界を通して人間の魂を描いている作品が純文学の定義だと思います。またこうも言えます。分かっていることを書くのではなくて、分からないことを書こうとしている。だから、言葉もあっさりとしたものでは描けないのだと思います。もしくは、愛しているとは言えない。けど愛していることを描こうとしている。だから難しく感じるのだとも。

 

 

 

【開催報告】第八十三回 別府鉄輪朝読書ノ会

 

 

 

彼等は山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。

 

『門』夏目漱石

 

 

 

 

 

四月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

満員御礼の、キャンセル待ちの回でした。

 

今回で7周年を迎えまして、ここまで続けられてうれしいです。

今でも毎回新しく初参加して、リピートしてくださる方もいて、

その都度読む本を決めたり、そんな工夫を楽しんでくれているのかなと思っています。

いつもありがとうございます。

そして会場に使わせていただき、毎回趣向を凝らした料理を考えてくださる、

ここちカフェむすびのの河野さんにも感謝です。

 

 

さて、今回とりあげた作品は原点回帰の夏目漱石『門』でした。

初めて読んだ、巷にあふれている小説とは違う、御米のことがよくわからん、

勤め人として明治のサラリーマンに共感する、純文学って何?、

三部作を読んで愛情の行き着き方に驚かされた、読書できた機会を与えてくれて感謝、

希望がない、暗い。何も起こらないところが人生に似ている、言葉にならない、

表現が上手い、読みづらい、心理が風景に投影されているのがすごい、仏教用語

わからなかった、40年ぶりに小説を読んだ、静けさのある小説、暗い中にも明るさが

ある、P.ブリューゲルの絵画のよう、悪を感じさせない、優しさがある、

しっかりしろ宗助、100年前からサラリーマンはつらいよ、私も悩みがちなので共感、

事件が起こるのを待っていた自分がいる

 

 

宗助のうじうじしているところについて、否定派と肯定派に分かれたり、

御米のことを安井はなぜ妹と紹介したのか、公案で使われた言葉の謎、

社会的に外されていることの重さ、干渉し合わない夫婦の在り方、個と家(村)、

温度の低い(低くなった)夫婦の在り方や罪をどう背負うのか背負わないのかについて

いろんな意見が交わされました。

 

 

二人とも〈門〉によっては、救われず、慰藉も得ず、どこからも包括されず疎外される

そんな現代にも通じる人間像を描き出したかったのかもしれません。

 

 

 


むすびのさんの特製メニューは、日影を歩く?宗助と御米をイメージして、

陰性の植物(影で育つ)食材でできたお料理が提供されました。

かぶ、小松菜、ほうれん草、アスパラ、パセリ、タケノコ、蕗の薹、いちご、

また海底を這うホウボウとニベ。

どれもたいへん美味しかったです。ありがとうございました。

 

 

会の方は、まだまだ話し足りませんでしたが、時間切れとなってしまいました。

五月はアメトーク!の読書芸人でも取り上げられた

『おいしいごはんが食べられますように』高瀬準子を読んでいきます。

また次回もよろしくお願いいたします。

 

 

 

黄色い雨

 

 

 

 

 

静寂はたましいの栄養だ そんな言葉が頭をよぎる。たとえば山の夜、雪が音を吸い取ってしんしんとした夜なんかに ある種の静けさと対峙するにはパワーがいる。裸の自分と向き合うのだから。それはたましいにとって、とても大事なことだ。この静寂と真摯に向き合い続けるばななさんに、幾度も力をもらってきた。25年前、この一行に含まれる静けさと出会ってから、ずっと。この一行が含む音は、森の奥にそっと在る湖のように、いつも私のなかにある。

 

小沢征良 

 

 

 

 

2023.4.10-16

月曜日

春の光をわたしもこどもたちも等しくみな浴びた。

春の光にはなにか生きることの祝福のような響きを感じる。

 

 

火曜日

こども哲学を開催した。

それぞれの問いを持ち寄って。

問いをもって生きるとはどういうことなのか。

 

 

水曜日

黄色い雨が降る。

視界不良。

正確に言うと黄色とグレーの混ざり合ったもの。

 

 

 

金曜日

来週の読書会のために夏目漱石の『門』を読む。

読むたびに発見がある。

来週は満員御礼。

どんな感想が聴けるのか楽しみにしたい。

 

 

 

土曜日

近所にできたこども食堂へ挨拶に行く。

鉄輪にもこういう場所があるのだなとまだまだ未知の場所があることを知る。

 

 

大人の哲学カフェを開催する。

豊かな時間をもつこと。

こういう対話の時間もわたしにとってそんな時間だ。

 

 

日曜日

図書館に返却と他の図書館に頼んでいた本を受け取りに行く。

アドリエンヌ・リッチ詩集。

 

それを持って日出のkamenosさんへ。

フリースクールで教えている親御さんとばったり会ってしばし歓談。

オーナーのじゅんこさんとも意気投合。

いろんな偶然のかさなる日。

 



 

夜、すじ湯温泉の清掃係の日。

鉄輪に聞き、鉄輪のひとにようやくなれた気がする。

 

 

 

【開催報告】哲学カフェ大分 4.15

 

 

「利他」コトバンクより

 

① 他人に利益を与えること。自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと。人々に功徳(くどく)、利益(りやく)を施して救済すること。
※三帖和讚(1248‐60頃)浄土「自利々他円満して 帰命方便巧荘厳、こころもことばもたえたれば、不可思議尊に帰命せよ」 〔発菩提心経論‐上〕


② 特に阿彌陀仏の救いのはたらきをいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月の哲学カフェ大分を開催しました。

今回参加者のみなさんと考えたテーマは「利他って何だろう?」でした。

 

 

対話を始める前に、みなさんが考える「利他」について聞いてみました。

 

・利他とは自分がからっぽになること

・何のために利他なのか?目的は何か?意識の有無

・ボランティアのようなもの?めぐりめぐって自分にかえってくるもの

・わからない白紙です

・純粋な利他はあるのか? 利己と利他の境界線はあるのか?

・相手のためにならない利己的行為とは

・口に出すと嘘っぽくなるランキング1位

・する側とされる側の両方の喜びがあって成立するもの

・利他の代表的行為は寄附。しないといけないこと

コイントスのように投げてみないと相手が喜ぶかどうかわからない

・利己と利他はコインの裏表のよう

・情けは人の為ならず

・はじめは自己犠牲でもやがて楽しくなるもの

・意識と無意識の関係がある



とっさの行為は純粋な利他と呼べるのではないのか、

人の役に立ちたいという気持ちは、親からの無償の愛を受けたから起きるものでは、

利他は受け身のときに、もっとも純粋である。

人はみずからの死、有限性を意識すると利他的になる。

しにたい人を助けるのは利他か?

また、そもそも利他っていいことなの?という問いもありました。

 

 

対話が終わって、再びみなさんに「利他」について改めて聞きました。

・利他かどうかは、された側が判断すればいい。純粋かどうかはどうでもいい

・もやもやしている。考え続けたい

・自分の境界を狭めるのではなく、地球を自己として捉えた場合に、

利他の在り方もまた変わってくるのではないか

・他者にベクトルがないと自己が確立されない。

・自己、利己だけで生きていくのはきつい

・利己、利他はまざっている。ぐるぐる回っている

・利他はおせっかい?

・おかげさまの精神

尊厳死のことも考えた

 

 

などなど、思索は尽きませんでしたが、タイムオーバーとなりました。

各自でもやもやをひきとって考えて続けてみてください。

 

ご参加ありがとうございました。

 

 

また哲学対話の場でお会いしましょう♪