対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

マイ パブリック

紫丁香花の大きな樹

 

 

自由が出現したのは…彼らが「挑戦者」となり、自らイニシアティヴをとり、そのことによってそれと知ることも気づくこともなしに、自由が姿を現わすことのできる公共的空間を彼らの間に創造し始めたからである。

 

ハンナ・アーレント『過去と未来の間』

 

 

 

 

 

 

2023.4.17-23

月曜日

選挙カーのアナウンス

日本の民主主義の凝縮

これ以外にあり得なかったのかといつも思う

 

 

火曜日

選挙カーのアナウンス

わたしは選挙のバイトをしていたことがある

あの選挙カーのなかというのは、ハイでなければ居られない

政治家はなかなか狂人でもなければつとまらないと思った

 

 

水曜日

選挙カーのアナウンス

は誰に向けられているのか

 

 

外国籍、あるいは海外にルーツをもつ生徒に勉強を教える

ひとまず最終日

かれらとの間に関係性が築けたか

みんな私に話しを聞いて欲しかった

学校のこととか

勉強をしに来ているけれど、そちらの方もまた大事なことのように思えた

 

 

木曜日

選挙カーのアナウンス。

 

煌めく陽光

汗をかく 

こどもたちとボールを蹴る

 

 

金曜日

図書館へ。

新しい館長さんへご挨拶。

団体貸出というのがあるのを知る。

司書の資格をもっているのに、知らないことは当然まだたくさんある。

 

 

曜日がある

曜日にそって生きるとはどういうことか

すでに漱石の作品のなかにその問いがあった

曜日のない書きつけを書こうか

 

 

土曜日

選挙カー最後のお願い

 

 

来月担当する市民講座の構成を考え続けている

〈問い〉をどうデザインしていくのか

私ではなく、参加者が

公共について考え続ける

私あっての公、公あっての私

 

 

日曜日

別府鉄輪麻読書ノ会の開催。満員御礼。

7周年を迎えた。

今回は夏目漱石の『門』を読んだ。

よくこの読書会でとりあげる小説は難しい、読みづらいと言われる。

純文学だから、と答える。

それでも来てくれる。

 

純文学とは何か。私なりに考えていることを書くと、言葉の限界を通して人間の魂を描いている作品が純文学の定義だと思います。またこうも言えます。分かっていることを書くのではなくて、分からないことを書こうとしている。だから、言葉もあっさりとしたものでは描けないのだと思います。もしくは、愛しているとは言えない。けど愛していることを描こうとしている。だから難しく感じるのだとも。