そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。
2022.2.21-27
月曜日
澄み渡った快晴。寒いが気持ちがいい。
寒いと花粉がない。
午前中オンラインで大阪大学大学院人間科学研究共生学系未来共生学講座共生の人間学分野の博士論文公聴会を視聴する。
発表は佐原浩一郎氏の「ドゥルーズにとってのライプニッツ主義」。主査は檜垣立哉氏。
冒頭の説明で、なぜか最近の自分にとっての現実界、想像界、象徴界の混乱が、不意に結びついたような気がして精神が明るくなって力が湧いた。
・本質と出来事を異なる秩序において区別すると同時に連関させたこと
・世界の局所的な現働性をそれ自体にとっては潜在的な大域的現働性とともに捉えたこと
・出来事間の共可能性および非共可能性を構想したこと
四月始まりの手帖を購入。
午後Bareishotenさんでホットチャイを飲む。
ぼーとする無になる時間。心地よいアンビエントの音楽。
別府フリースクールうかりゆハウスと別府鉄輪朝読書ノ会のカードを置いていただく。
日が長くなったのを感じる。18時でも明るさがあるのが嬉しい。
光というのは人を生き長らえさせるものだ。
火曜日
2の連なる激しくネコの日
BSテレビなどでは一日中ネコ特集だ。
戦争に抗するにはネコしかない。
別府フリースクールうかりゆハウスに掲げている、
お気に入りの網中いずるさんのイラスト。
ツイートしたら、ご本人からリツイートがあった!
水曜日
天皇誕生日。祝日。
2月にぴんとこない感じ。
朝起きて、オンラインで「本読みに与ふる時間」。
寒い一日だった。
「心の闇」について考える。
問いかけと応答にまだ不慣れな場であるとは思う。
でも問いかけがあったならば、それに対して顔をきちんと向けて、
対峙したいと思う。それが他者というもの。
一方通行ならば、人生もまた一方通行で生きてきたということだ。
木曜日
戦争が始まった。プーチンによって。
20世紀に後退した。恐ろしい失望。それもプーチンによって。
そして日本でも軍備を拡張しよう、軍事力を強化しよう、
9条を改正しようという声があがってくる。
簡単に風がなびけば、あっちからこっちへ。
フェイクもリアルも錯綜し、TikTokで戦争の映像を見る。
スマホのなかの戦争。
大統領もSNSで正義を訴える。
金曜日
ダルビッシュ有選手がある動画で、日本のセ・リーグとパ・リーグの実力差についての見解を述べていた。彼が在籍していた当時(おそらく今でも)セ・リーグと試合をするときは、ホームチームに来た相手チームにぎりぎりまで練習や調整をさせなかったり、球場内の部屋を使わせなかったりと、とにかく相手チームの実力を発揮させないような力学が発揮されているようだが、パ・リーグではそんなことはなく、とにかくお互いがベストの状態で戦えるように相手チームを迎えるときもフェアに施設を使わせると。この意識の差というのが長年積もって、実力差に結びついているのだろうと分析していた。しかし、それにしてもセ・リーグとは。紳士でも何でもないな。
土曜日
あたたかい。春だ。
施設にいた大叔母が亡くなったとの報があった。
午後うかりゆハウスにて朗読部を開催。
声を響かせると心身がスッキリするのがわかる。
身体は水と空洞でできた楽器のよう、声の振動でマッサージされる。
音のうまれるときは、人間の内部にもからっぽな空間がある。心にじゃまされずに音に気づき、音のはこびをほとんど意思の力で消えるまでたどる。音をつくる身振りは訓練をかさねて、意識からはなれていく。フィードバックの環がまわりだすと、はじまりの点はもうない。
日曜日
午前中、別府鉄輪朝読書ノ会を開催。
今回は『蟹工船・党生活者』を読んだ。月刊雑誌「セーノ!」の取材もはいる。
昭和の頃、国の若さについて、作品の明るさについて考えた。
文章はなぜだか「暗く」書いていく方が簡単だ。
普通に書いていても、暗さの方に寄っていきがちである。
でも、底に明るさが湛えている文章というのは少ないし、難しいのだ。
大叔母を西福寺に納骨する。
西福寺は親鸞聖人の幼き頃の像が入り口に立っている。
清く潔い像。まだ宗教者になる前のすがた。
大叔母は信心深い人だったのが、うかりゆハウスに残っている様々な信仰の跡で見て取れる。空海の像があり、恵比寿さまや大黒天さま、浄土真宗、神棚、火伏せの神、方角とか風水とかも気にする人だったようだ。
大叔母は95歳で亡くなったから1927年、昭和2年の3月25日生まれだ。ハイゼンベルクが量子力学の不確定性原理に関する論文を上梓し、ハイデガーが『存在と時間 Sein und Zeit』を脱稿した。芥川龍之介が自死し、ソビエト連邦共産党がトロツキーを除名し、映画ではフリッツ・ラングの「メトロポリス」が公開された年だ。石牟礼道子は同じ年の3月11日に生誕している。
大叔母は幼い頃運動会かなにかで転倒し股関節を脱臼して、通った整骨院の不始末で曲がった形で股関節と足がくっついてしまい、左右の足の長さが大きく変わり、生涯足を引き擦って歩くようになってしまったと母から聞いた。生涯独身だったが、母を初め、年の離れた兄弟姉妹の面倒をよく見た偉大な人。その方からうかりゆハウスを引き継ぐというのは光栄であり、意気が揚がり、感謝の思いでいっぱいだ。
図書館の使命について、今読みたい文章。
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