対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

解放に真にかかわる人びとは、

 

 

 

そこでも重点は それらの原理による統一ではなく 複数への分岐とそれらのあいだのバランスだった 

 

高橋悠治

 

 

 

 

2022/8/29_4

月曜日

オンラインで副代表と午後からずっと打ち合わせ。

自分たちのやりたいことが見えてきた。

詰まっていたもの、滞りのあったところに言葉が生まれ、

流れが生まれれば、自然と生徒も集まってくるのではないのか。

 

 

新聞を読んでくれた司書講習の仲間達から、見たよとの連絡が。

有り難い。

 

 

火曜日

パンフレットを改訂のため、ページネーションからデザインまで集中する。

理念を言語化できれば、デザインもそれに合わせたものに変えていく。

とても楽しい行為。

 

 

 

水曜日

こどもたちとフラワーラッピングをし、ボードゲームをする。

 

 

 

木曜日

 

こどもたちとともに問いを交わす日日。

大人の方が固い、固い。

 

9月になった。

 

 

金曜日

奇妙な夢。

大学のゼミかなにかかで正面に教授が座っていて、机を接している。教授の筆記用具たちが机上にいくつかあって、わたしの筆記用具も散らばっていて、それらが混ざり合って、わたしは無意識裡にか教授のお洒落なペンを使う。とそれに対して教授が激怒して、アカハラのように執拗に責められていたたたまれなくなって目が覚める。

 

 

この夢に関して思うことは、高校の頃に話したこともない体育の先生から突然叱られて、恥をかいた思い出だった。そのときの感触と似ていた。むしろその頃のことが思い出されて、怒りの感情が湧いた。不快でしかなかった。

 

 

 

土曜日

月に一度の対話勉強会、オンラインで。

11月の哲学プラクティス連絡会に参加する際のテーマを決める。

ファシリテーターの振り返り、どうしてますか?」

対話の振り返りと混同されないか、ちょっと心配だけど、面白そう。

 

 

 

フレイレの『被抑圧者の教育学』をついに購入。

ツイッターbotで琴線に触れるものばかりで。

わたしたちがフリースクールでやりたいことの骨子はほぼフレイレによって

書き上げられているのではないのだろうか。

 

 

 

一方的語りかけ(それはつねに語りかける人である教師によるものであるが)は、生徒を語りかけられる内容の機械的な暗記者にする。さらに悪いことに、かれらはそれによって容器、つまり、教師によって満たされるべき入れ物に変えられてしまう。

 
 

解放に真にかかわる人びとは、銀行型概念を完全に拒否し、それにかえて意識的存在としての人間と、世界に向けられた意識としての意識の概念を採用しなければならない。かれらは、預金をするという教育目標を捨てて、それにかえて世界との関係にある人間の課題を設定しなければならない。

 

 

生徒の創造力を最小限に抑え、摘み取り、かれらの軽信をあおりたてる銀行型教育の機能は、世界を解明したいとも思わなければ、それが変革されるのを見たいとも思わない抑圧者の利益に仕えるものである。

 

 

パウロフレイレ

 

 

 

 

日曜日

保坂和志氏の小説的思考塾、オンラインで。

いつも元気と勇気をもらえる語りがある。

文体の要素に「自己イメージ」というのがあって、ハッとさせられた。

あと昔ディスクユニオンはトップ10ランキングなんてやらなかったという指摘とか。

 

 

 

思想は、世界にたち向かう行動によって生みだされるときにのみ意味をもつ、ということが真実であるならば、教師にたいする生徒の従属は不可能となる。

 

フレイレ