6月の哲学カフェ大分を開催しました。
今回は「推しとか推すって何だろう?」をテーマにみなさんと哲学対話していきました。
哲学対話の問う、考える、話す、聴くの要素の「問う」ことに力点を置いて、
今回の構成を考えました。
問いに始まり、問いに終わる。テーマを通して自らが問いを立てることで、
より主体的に対話に関われると考えたからです。
ファシリテーターとしても、それぞれの興味関心がどこにあるのか分かりやすくなり、
対話の現在地と参加者の立ち位置との関係を捉えやすく、より有機的に対話を
進められたと感じましたが、参加されたみなさんはどうだったでしょうか?
わたしが対話のなかで印象に残った意見として、
・なぜ身近な人の応援ではないのか?私ではなく、誰かなのか。
・推し活は健康的なことなのか?
・リアルとはコミットしない、したくない傾向
・会社推しはいない
・推されたい
・推されたことで人生が変わった
この哲学カフェを始めた10年近く前(複数の人で集まって始めたのですが)
それぞれの担当を割り振る際に、誰がファシリテーターをするのかという話の中で、
ある方が「しみずさんしかいない!」と不意に推してくれたのでした。
自分としてはファシリテーションとは何かそのときは知らず、経験もなかったので、
そうなのかなあという感じでしたが、いまでも継続しているということは、
向いていたのでしょう。推してくれたことに感謝しています。
今思えば、それを見抜いていたということは、その人にもファシリテーションの感性が
あったということで、もしかしたら本人もしたかったのを譲ってくれたのかもしれず、
そこに利他の精神があったということです。ありがとうございました。
ということで、みなさんも身近な人を推しましょう!とまとめの言葉としました。
ご参加ありがとうございました。