三月の哲学カフェを開催しました。
今回は初参加の方が多く、たくさんの方達に集まっていただきました。
ありがとうございました。
今回のテーマは「頭が良い、悪いってどういうこと?」でした。
始めにこの哲学カフェのコンセプトやルールを共有して、自己紹介とともに
今回のこのテーマに関する、みなさんの考えや問題意識を「問い」の形にして
話してもらいました。
みなさんの問い
・「頭が良い」ことの価値観が優位になる社会がどうして生まれたのか?
・それ以外の価値観が優位になるにはどうしたらいいのか?
・環境によって変わるものではないのか?
・自分で考えることを禁止された人が頭が悪い?
・抽象化をいかにうまくできるかによって決まるのではないか?
・頭が良い/悪いという定義付け(ジャッジ)自体をそもそもするべきではないのでは?できないのでは?
・頭が良い悪いという区分をどうしてするのか?
・頭が悪いことは必ずしも「悪いこと」なのか?
・勉強で頭はよくなる?
・勉強ができることと頭が良いことは同じか?
・頭が良いとは知識をたくさんつけること?
・頭が良い悪いは誰が決めることなのか?頭の悪い人はいないのではないか?
・頭をよくする必要はあるの?(頭がいいとどんないいことがあるの?)
・頭が良くなるにはどうしたらいいの?
・アイデアマンは頭がいい人か?(「地頭力」と「学力」の関係)
・頭の良い悪いは幸福と関係あるのか?
これらの問いを元にして哲学対話を始めました。
学力や学歴、勉強と「頭が良い」との関連性を深掘りすると、必ずしもイコールでは
ないのではと気付いていきました。
みなさんの意見を聞いているうちに、学校の評価システムが人間理解を狭くしているように(一面的な理解を助長)思えました。どういう人間を育てたいのかというところと、学歴による評価がずれているといったところでしょうか。
また「頭の良さ、悪さ」について考えつつも、他者との関わり方(自分と他者を幸せにする)や豊かに生きる、学ぶ力は生き抜く力に繋がっている、生産性の有無に関係の無い頭の良さなど、新しい視点がでてきたところで時間となりました。
最後にもう一度、対話を終えて新たな問いがあれば出していただきました。問いに始まり問いに終わりました。
対話後のみなさんの問い
・「頭が良い」を多面的に見るにはどうしたらいいのか?
・「頭が悪い」はなぜ笑えないのか?
・頭が良い悪いは能力を示すだけでなく、態度や人との向き合い方も含まれるのではないか?
・頭が悪い人っているの?
・豊かに生きるってどういうこと?
・受け手の力が高まれば全ての人が「頭が良い」?(相手の能力+存在の承認)
・「頭が悪いね」は「人間として光るものがないね」になってしまっている?
また引き続きこのもやもやを考えてみてください。
哲学カフェが終わって別の場所に移動してクールダウンの時間を設けましたが、そこでもいろんな議論が個別に話されたようです。対話の旅は終わらず
ご参加ありがとうございました。
また対話の場でお会いしましょう♪