対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】哲学フェ大分 3.16

 

三月の哲学カフェを開催しました。

今回は初参加の方が多く、たくさんの方達に集まっていただきました。

ありがとうございました。

 

今回のテーマは「頭が良い、悪いってどういうこと?」でした。

 

始めにこの哲学カフェのコンセプトやルールを共有して、自己紹介とともに

今回のこのテーマに関する、みなさんの考えや問題意識を「問い」の形にして

話してもらいました。

 

 

 

 

みなさんの問い

・「頭が良い」ことの価値観が優位になる社会がどうして生まれたのか?

・それ以外の価値観が優位になるにはどうしたらいいのか?

・環境によって変わるものではないのか?

・自分で考えることを禁止された人が頭が悪い?

・抽象化をいかにうまくできるかによって決まるのではないか?

・頭が良い/悪いという定義付け(ジャッジ)自体をそもそもするべきではないのでは?できないのでは?

・頭が良い悪いという区分をどうしてするのか?

・頭が悪いことは必ずしも「悪いこと」なのか?

・勉強で頭はよくなる?

・勉強ができることと頭が良いことは同じか?

・頭が良いとは知識をたくさんつけること?

・頭が良い悪いは誰が決めることなのか?頭の悪い人はいないのではないか?

・頭をよくする必要はあるの?(頭がいいとどんないいことがあるの?)

・頭が良くなるにはどうしたらいいの?

・アイデアマンは頭がいい人か?(「地頭力」と「学力」の関係)

・頭の良い悪いは幸福と関係あるのか?

 

 

これらの問いを元にして哲学対話を始めました。

学力や学歴、勉強と「頭が良い」との関連性を深掘りすると、必ずしもイコールでは

ないのではと気付いていきました。

 

 

 

みなさんの意見を聞いているうちに、学校の評価システムが人間理解を狭くしているように(一面的な理解を助長)思えました。どういう人間を育てたいのかというところと、学歴による評価がずれているといったところでしょうか。

 

また「頭の良さ、悪さ」について考えつつも、他者との関わり方(自分と他者を幸せにする)や豊かに生きる、学ぶ力は生き抜く力に繋がっている、生産性の有無に関係の無い頭の良さなど、新しい視点がでてきたところで時間となりました。

 

 

 

最後にもう一度、対話を終えて新たな問いがあれば出していただきました。問いに始まり問いに終わりました。

 

 

 

対話後のみなさんの問い

・「頭が良い」を多面的に見るにはどうしたらいいのか?

・「頭が悪い」はなぜ笑えないのか?

・頭が良い悪いは能力を示すだけでなく、態度や人との向き合い方も含まれるのではないか?

・頭が悪い人っているの?

・豊かに生きるってどういうこと?

・受け手の力が高まれば全ての人が「頭が良い」?(相手の能力+存在の承認)

・「頭が悪いね」は「人間として光るものがないね」になってしまっている?

 

 

また引き続きこのもやもやを考えてみてください。

 

哲学カフェが終わって別の場所に移動してクールダウンの時間を設けましたが、そこでもいろんな議論が個別に話されたようです。対話の旅は終わらず

 

ご参加ありがとうございました。

また対話の場でお会いしましょう♪