対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】哲学カフェ大分 2.25

 

 

 

哲学カフェ大分を開催しました。

今回は「タイパって何だろう?」について参加者のみなさんと哲学対話しました。

 

最初にアイスブレイクで

「あなたの一番生産性の高い(集中力の高い)場所と時間は?」という質問を

してみました。

 

(場所)家、自宅、自分の部屋、ドトール、カフェ、ソファ、散歩中、実家の子ども部屋、トイレ、今のここ(哲学カフェの場)

(時間)朝起きたとき、朝、夜、お風呂後から就寝前の間、なにかの隙間時間、

 

この哲学カフェの時間と場所がいちばん生産性、集中力が高いと言っていただいたのが嬉しかったです。

 

 

そして本題のテーマ、「タイパ」についてみなさんに対話前の意見を聞いていきました。

・結果偏重の傾向、過程の楽しさが軽視されている

・子育て中もあり、タイパの考え方には肯定的かも

・なぜそんなに生き急いでいるのか

・時間をかけることが大事。それにどれくらい時間がかかるかは大切じゃない

・狭い日本、そんなに急いで何処に行く

・新しい言葉、技術に対する反発もあるのではないか

・タイパという言葉を必要とした社会について今日は考えたい

・質で測る/何もしていないけど充実した時間、味わい深い時間がある

・量で量る/一定の時間で何ができたのか、どれくらいできたのか

・リスペクトする映画作品を人に勧めても、早送りでは見て欲しくない

・まったく分からない。考えたこともない。タイパの悪い人生

・承認欲求の裏返しなのでは?

・時間か中身か。みんな同じ時間の流れ方をしていない。時間とはなにか、考えたい。

 

みなさんの対話を始める前の意見を聞いて、対話に入りました。

昔からよく言われる、「時間を大切にしよう」と「タイパ」は違う。

自己啓発に傾いている。無用の用がある。

タイパが登場した背景に、自宅で長く過ごさざるを得なかったコロナ禍が有る。

同化することに価値を置く文化とまわりは関係なく自分のことに集中することとの違い

 

夢中になっているときは、時間感覚は消失している。

タイパにはつねに時間意識があって、窮屈。本末転倒。

 

若い人はやること(やりたいことではなく、やらなければいけないこと)が多すぎる。

 

文学作品など、まとめ、ることができないものに魂が宿っている。

哲学対話はまとめだけ読んでもしょうがない。

 

人生そのもの、子育てなどはそもそもタイパ悪すぎるもの。

子どもは自然そのもの。

でも自然から離れていくのが進歩。

時間とは生きることそのもの。

タイパの一方で、サウナや一人キャンプなど膨大な余白を大切にする動きもある。

 

タイパできるものとできないものに使い分ければいいのでは?

 

 

タイムオーバーとなり、最後にみなさんには対話語の意見を聞いて終わりとしました。

・難しい。「感動」というキーワードをいれたい

・有限性の裏返し

・タイパを自分の人生にとりいれたい

・こんなに考えたことなかった。死と関係する。有意義な時間だった

・時代によっても違う。自分の生き方が反映される

・自然がいいのか?タイパ=不自然。よく分からない。。

・感情によっても違う時間の流れ方

・老いた人こそ時間の大切さを知るのに、タイパは若者が作ったことば。。これが不思議。どういう事情があるのか

目から鱗だった。行きつく果てはディストピア

・「タイパ」の隆盛も人類の通過点のひとつ

・時間と時計ってなにが違うのかな

・ひとうひとつ丁寧に味わいたい

 

 

また対話の場でお会いしましょう。