対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】哲学カフェ大分 12.14

 

12月の哲学カフェ大分を開催しました。

 

今回のテーマは「センス」。

ソクラティク・ダイアローグの手法を使いつつ、3時間ですが(通常は1日から2日かける)「センス」についての本質のまとめの文章をつくり、結論を出していきました。毎回即興なのでドキドキしますが、今回も首尾よく収まりました。(収まらなくてもよい)

 

まずみなさん自己紹介を簡単にしてもらいつつ、「センス」に関するそれぞれのエピソードと問いを話してもらいました。

 

Q センスがいいって言われると嬉しいのはなぜ?

Q センスと勘・才能・上手のちがいはなんだろう?

Q 大阪のおばちゃんと大谷翔平さんは一般的に服のセンスがないと言われるが、共通点がある?

Q センスは生活するために必要か?

Q センスは相対的に推し量るものなのか?

Q 他者との競争(比較)なしにセンスは磨かれるのか?

Q 「才能」と「センス」は一緒なのでしょうか?

Q センスと時間軸の関係は?

Q センスの有無とは、自分と世界(との距離感)がその本質はわかっているかどうかなのではないか?

Q そもそもセンスとは?どうやって磨く?

Q センスとは磨き方次第なのか?

Q センスは生まれつき?

 

ここから、エピソードも交え対話を始めました。

センスというのは、先天的なのか後天的なのかというところから、そもそも有る無しではなく、誰もがその芽があって、それが伸びるか否かとか、他者の存在や環境、観察力の有無など意見が出ました。

 

相互的なものとしての合う合わない、相性、リズム、そして「好き」というワードも出ました。

 

センスを目盛りの比喩として提示された方がいて、その目盛りの粗さ、細かさ、多さ、少なさみたいなところでイメージを共有していきました。

 

休憩を挟みつつ、対話は深くそして広く進んでいきました。センスと文化の関係、アイデンティティとの関係、それが他者の評価であること、自然とやむにやまれずやってしまうこと、子供の頃を思い返すこと、取り戻すこと、などなど2時間ちょっとかけて「センス」の本質を探究していきました。

 

 

 

 

そして30分かけて、まとめの文章を全員でああでもこうでもないと、つくっていきました。ここのハードルが毎回高いのですが、頑張ってみんなで納得のいくものをひねり出していきました。

 

 

①センスとは、生まれもった性質が立ち顕われたり、他者の存在や環境に触れても残っているものである。

 

②センスとは、世界を感じる目盛りの個性のことである。

 

 

「目盛りの個性」という言葉が生まれたことに驚きの声があがったり、立ち顕われるをどこに入れるかを発見したときなど、大きな山を登った達成感がありました。

 

対話を通して得た知見が、微妙なニュアンスも含めて表現され得たのに私個人はびっくりしました。

 

 

最後にこれらの「センス」の本質を探求したまとめの文章が、みんなの最初の問いに応えているか、照らし合わせてみました。ほぼほぼ言い得ていたように思います。

 

3時間おつかれさまでした。

時間は短く、時間との戦いでもあり、とても知的にスリリングな最後でした。

 

ご参加ありがとうございました。

また来年も対話の場でお会いしましょう♫