対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】オンライン哲学カフェ 4.29

 

いいテーマだなと思っているのですが、、

参加希望者が少ないなあ。。

 

 

◆「オン哲!(オンライン哲学カフェ)4.29」(オンラインのみ)

 
4月はお花見や歓迎会の季節でお酒を飲む機会が増えるかもしれません。そもそも大人って、なぜお酒を飲むのでしょうか?お酒を飲むことで何を得ているのでしょうか?以前大阪釜ヶ崎を訪れたときに、飲んだくれて道に横たわっている人が多くいたのですが、不思議な解放感を感じました。普段お酒を飲まないよと言う方も、この機会に考えてみませんか?


○テーマ:「大人はなぜ酒を飲むのか?」

 

○日 時:4月29日(金・祝)20時から21時45分まで
○方 法:Zoomを使用します。
ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円*paypayかamazonギフト券でお支払いください。
○定 員:約15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:開催当日お昼までにお申込みください。

 

 

参加希望者は以下の申込みフォームからお願いします。

ws.formzu.net

 

「絵本 de 考えるカフェ」を開催します

 

 

 

絵本を読んで、そのテーマを深掘りし考える。絵本カフェを開催します☆

 

とき:4月28日(木)14時30分〜15時30分
 
ところ:別府鉄輪うかりゆハウス
 
テーマ:「絵本 de 考えるカフェ」
一緒に絵本を読んで、考えることを楽しもう!
 
えほん:『ほっきょくでうしをうつ』
作/角幡唯介 絵/阿部海太(岩崎書店
 
 
参加申込フォーム

ここだったら、居てもいいかな

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宮沢賢治の生涯は「挫折」であったとひとはいう。賢治自身が「半途で倒れた」という以上それは正しいだろうし、わたしもそのように書いてきた。けれどもいったいどこに到達すれば挫折ではなかったというのだろうか。あるひとは賢治が革命の思想に到達しなかったから挫折だという。けれどもそれじたい挫折ではなかったような革命がこれまでにあっただろうか。

 

宮沢賢治 存在の祭りの中へ』見田宗介岩波現代文庫

 

 

 

2022.4.18-24

 

月曜日

100分de名著は、難解と言われるハイデガーの『存在と時間』を扱っているが、

分かり易い解説こそが『存在と時間』の本質から遠ざかることになっている。

私の感じる『存在と時間』の本質は、不気味とも言えるほどのあの不穏な文体にあり、

意外にも番組中の朗読や使われているイラストは、その不穏さに近いものがある。

 

 

今日も近隣にフライヤーを配っていく。

鉄輪はどこも快く置いてくれるのが嬉しい。

 

 

火曜日

朝起きてから、本を読むのが好きだけど、

作務というのか、まず掃除をしたり鉢に水をあげたりするのが、

心身ともに良いと感じるようになった。

 

 

日曜日の読書会に新しく参加の申込みが3人もあった。

 

 

 

水曜日

別府のもうひとつのフリースクール、みんなの教室のみなさんがうかりゆハウスに

立ち寄ってくれる。髙部さんのみんなの教室Tシャツがいい。

 

 

 

敬意を感じていた人のオンラインのセミナーに参加したが、

その人の商品を推す話、つまり宣伝ばかりでがっかりした。

たとえその商品が素晴らしいものであっても、

伝え方を間違える(推しが強すぎる)と嫌われるということを学んだ。

SNSでもそうだが、宣伝3別の語りが7くらいが丁度良いのではないか。

 

でも本屋の本の宣伝というのは、どんなに推されても嫌にならないというのは、

本というものが私にとってどれほど入れても痛くない精神と同一のものであるから

かもしれず、フリースクールや学び舎がそういう在り方に達したいと思った。

 

 

木曜日

生徒が休みになって、私も急に休みになるものの、

やることをしていたらあっという間に一日が終わる。

 

 

補助金申請への質問状が上から目線すぎて、辞退の旨を担当者に伝えると宥められて、

ふたたび申請するやる気を取り戻す。

 

 

夜、オンラインで哲学カフェの実践者交流会に参加。

途中までしか参加できなかったけど、ゲストの永井玲衣さんの説明が

声の通りも良くカジュアルで分かりやすく感銘を受けた。

彼女の哲学カフェへの愛を聞いていて、また違った側面から捉えることが出来て、

自分のやりたい方向性が見えた。

こんなふうにも捉えられるのかと、自分もこんなふうに捉えたかったんだと、

嫉妬を覚えるほど、その感覚が良かった。

 

 

金曜日

オーストラリア在住でサポーター会員の大晴さんと

Zoomで繋いで、世界のリアルをインタビューした。

オーストラリアの時間に追われない「豊かさ」を羨ましく感じつつも、

たとえば京都とか大阪のような「豊かさ」を私は愛していて、

じゃあどちらをとるのかといえば後者になるけど、

それは日本の過労死とか鬱といったものと不離なものなのだろうか。

 

 

 

土曜日

以前から気になっていた明礬うどんにごぼう天うどんととり天を食べに行く。

細麺のうどんってなかなかなくて、通い詰めそうな予感。

出汁がしっかりしつつ、それでいて濃いという感じでもない。

ごぼ天もとり天もサクサクして美味。

 



 

 

日曜日

月に一度の別府鉄輪朝読書ノ会。

今回は、アンドレイ・クルコフがロシア語で書いた

ウクライナ文学『ペンギンの憂鬱』を読んだ。

私は文学を読むということで、かろうじて私は平和を願っているのだろうか。

これは無力なことなのか。遠いウクライナから離れた温泉街で想うことは。

 

 

 

 

 

知床半島の観光船の事故。

数年前知床を訪れて、その自然に魅せられた人間としては残念で仕方がない。

人間がいるところには欲望がある。戦争もあるし、憎しみも悲劇もある。

それがあのうつくしい知床の風景とそぐわないのは矛盾でもなんでもないの

だろうけど、やはり営利先行のこういう事故は起きて欲しくなかった。

 

 

 

 

第七十一回目の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

 

 

 

 

向かいのアパートで明かりのついている窓は三つだけ。さっきまで灯っていたのとは別の窓だった。あの窓のむこうでうごめいている人たちは、ヴィクトルのことになど何の関心もないだろう。できれば、この間の眠れない夜、目にしたあの女性の姿を見たかった。でもその人が見当たらなくても、安らかな気分は乱されなかった。

 

『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

 

四月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

今回とりあげた作品はロシア語で書かれたウクライナ文学

アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』をみなさんと読んでいきました。

 

 

・小説を読むことの喜びを改めて味わえた

・ニュースで聞いたウクライナの地名が出てきて胸が痛かった

・まさに今読むべき小説だと思ったので参加しました

・寓話のようであるけど、切実さがある

・昔の日本のような懐かしさがある

・かつての共産主義の良き人間関係がまだ残っている描写も

・猫でもなく犬でもない。ペンギンのオバQのような形状と歩き方が効いている

・「ペンギンじゃない方のミーシャ」という表現がおもしろい

・料理が簡単で良い

・発表当時の1996年ではなく、今読むからこそ分かるものがあった

 

 

謎の多い作品。

また宗教やユダヤ人などの背景が分からない箇所も多々ありながら、

いろんな推測を重ねながら、各参加者の読みを聴いていきました。

 

 

 

 

この日のむすびのさん特製のドリンクは、

ウクライナの「ウズバール」というドライフルーツを水に入れて沸かした飲み物。

シナモン、蜂蜜が入っていて、ウクライナでは食事の時に飲むそうです。

美味しかったです。

 

 

 

 

スペシャルメニューはボルシチ

ボルシチはロシア料理ではなく、ウクライナ料理とのこと。

ビーツの赤にサワークリームの白が効いています。

日本で言うお味噌汁のようなものだそうです。

 

パンにワケギと豚肉の塩漬け(サーロ)。

そして大麦の粒とくるみ、ポピーシードと蜂蜜のクティアというお菓子。

 

 

今日は文学と食事で〈ウクライナ〉を体験しました。

どれも美味ですばらしかった。ご提供ありがとうございました。

 

 

 

 

ご参加ありがとうございました。

今回は雑誌「セーノ!」を見られて参加された方も多かったです。

 

 

次回五月はラテンアメリカ文学ガルシア=マルケスが、

川端康成の『眠れる美女』にインスピレーションを受けて書いた最晩年の作品

『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読んでいきます。

 

 

 

 

人生を楽しむことが第一

 

 

オーストラリア在住の後藤大晴さんと別府フリースクールうかりゆハウスを

オンラインで結んで、スペシャルイベント開催しました。

テーマは「世界のリアルな話を聞く!」としてオーストラリアのリアルを

みんなで質問しました。

 

 

事前学習で学んだ内容を踏まえつつ、Kちゃんも勇気を出していろいろと

インタビューしてくれました。

 

 

オーストラリアは、やっぱり日本ほどせかせかしていなくて、

KAROUSHIもなく、、仕事優先でなくて、家族や人生を楽しむことが第一で

私もそういう人生を歩みたいなと思いました。

 

 

あと先住民アボリジニの人権についてや、ペーパーレス化が進んでいて、

日本はアナログ社会だということ、オーストラリアの英語は訛っていることなどなど

たくさん現地に住んでいる人ならではの話が聞けました。

ありがとうございました!

 

 

月に1回、地理の学習と交えながら開催したいと思っていますので、

来月もお楽しみに!

 

 

 

 

終わって、先日作って凍らせておいた、蜜柑のアイスキャンディーをみんなで食べました。いい加減の酸っぱさで美味しかったな。

 

 

4月のスペシャルイベント その1

 

 

 

 

 

平日お昼に開催のイベントです。

事前学習をして、オーストラリア在住の後藤さんに世界のリアルな話を聞きます。

 

 

○とき:4月22日(金)14時30分〜15時
○場所:別府鉄輪うかりゆハウス
○テーマ:韓国とオーストラリアについていろいろ質問してみよう
 
参加申込みフォーム

なにかの傍らにとどまるもの

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目にふれるひとつひとつのものがおどろきであるようなこの感覚を、だれもが一度はもっていたはずだ。

 

「心のある道」〈意味への疎外〉からの解放 真木悠介

 

 

 

 

2022.4.11-17

 

月曜日

くもりぞら。

妹のクラスでコロナ陽性者が出たとのことで、生徒さんはお休み。

ホームページを少しずつ修正していく。SEO対策など。

 

ukariyuhouse.jimdofree.com

 

 

火曜日

別府市教育委員や県の教育委員会に出向いて、挨拶とPRをりんさんとしてくる。

りんさんの物怖じしない勢いがすばらしい。

 

 

 

水曜日

グランドマザーの四十九日。

掃き清められたお寺のお堂に坐るのは気持ちがいい。

なんだろうこの澄んだ清浄さは心を静かにさせる。

 

 

 

木曜日

イベントのフライヤーづくり。

 

 

22時頃眠りについたら、2時頃目覚めてしまって、

それから深夜の静寂とともに1時間以上起きてまた眠る。

深夜のこの底なしのしずけさに癒やされもする。

こどものころは深夜の厠は怖かったけど。

うまく眠れた感がしない翌日へ。

寝損なう。

 

 

 

金曜日

一挙に金曜日までやってくる感覚。

 

りんさんと教育相談センターに訪れる。

ここを利用するのもなかなか敷居が高そうだ。

もっと軽やかなにいけないものか。

軽やかでないものは、忌避されるのではないか。

 

 

 

土曜日

大在埠頭を思わせるような産業道路のわきの原っぱに藤森照信のような見上げる位置にコンテナが固定され、その底面に真四角の入り口があり錆びた金属製の梯子で入っていく。(意外に中は広く)12畳ほどの空間は、古いエアコンがフル稼働できんきんに冷やされており、クーラーが苦手な私は嫌だなあと一瞬思う。中は見世物小屋のようで5,6人の男の観客がおり、ぷるぷると震える玩具の蛇を首にたくさん巻きつけた女が小さい黒人の双子に愛撫されている。この「会」を進行するエロ事師の男の顔が胡散臭くて味があった。パフォーマンスが終わり、役者?の蛇女の人と化粧を落とす鏡の前で話をする。化粧を落とすとあどけなく、会話の応答内容もまたあどけなく、演技とのギャップに驚く。体が冷え切って夢から覚めた。薄着で寝たせいもあるが、思いのほか寒い朝だった。寒さというある不快な外的刺激が、深い眠りを避けさせ夢を見、憶えさせる。コンテナも梯子も振りエアコンも見世物小屋も、すべて私の記憶のなかにあり、そのどれも指さすことができる。でもその組合せが斬新で、私を救う。

 

 

 

日曜日

目が眩むような、この絶佳の快晴をなににたとえよう。

それだけで満ち足りていて、もう私自身が対象となっているのが快い。

 

 

こども哲学の時間を開催する。

オンラインにはないものが、対面での対話にはあって、

それは、まあ「空気」なわけだけど、空気はいろいろと温度や匂いやあたたかいものが

流れるように変化していって、それがあるとき哲学対話の場では「倫理」に変わると

言いたくなる瞬間があった。

それが世間では、地獄のような圧力をもって、個をころしにくる、

そんなのばっかりだから、それを自分は変えていきたいと思う。

 

 

今日も月がきれいな夜だった。

 

夜に保坂和志による小説的思考塾をオンラインで視聴する。

聴いていると元気が出る。力が出る。生きたい、書きたいと思う。

本を読むとは、そういうことなんだ。

小説の自由とはそういうことなんだ。

 

 

 

 

3.想起されたものは我々の現在を軽く越えて、彼方へと身を躍らせ、そして突如、未来の中に立っている。


想起されたものは、我々へと向かって来たるのであり、今なお充足されていず、その意味で未来であり、未発掘の宝である。

 

4.詩の言葉を初めて聞いた際に聴き取ったものを、なんらかの〈内容〉(解釈)へと凝固させてはならない。

 

5.世界とは、数えられるものと数えられないもの、あるいは、既知のものと未知のもの、それらの総和ではない。
(本質の説明不可能性)
(芸術作品はすべて、説明可能な要素からは説明できない。)

 

7.〈主観ー客観〉〈主体ー対象〉などの二分法をいったんリセットする必要がある。
ハイデガーが繰り返し言ってること)

 

8.「夢想的なもの」をハイデガーは否定しない。


「夢想的なものを現実的でないと否定する人は、現実的なものが何かをわかって言っているわけではない」

 

9.心情的に理解することは、作品自体に対しては拒んでいることになる。
(現代は、心情・主観ばかりだ。)

 

10.芸術作品において、素材となっている物がはじめて、その素材としての本質を発揮する。


(石の硬さ、色彩の輝き、音の響きetc)
(素材自体に着目したのは、斬新だったはずだ)

 

11.芸術作品は、そのものなりの仕方で、存在するものの存在を開示する。
[別の言い方]
作品が創作されているということは、真理が形態の内へと確立されていることを意味する。

 

12.「理由もなく行き倒れになってそのままいつまでも転がっているような者を、人々は怖れる。これが先例となって、この先例から真理の悪臭が立ちのぼることを人々は忌む。」(カフカ

 

13.ハイデガーには「人は何をなしうるか」という、人間に対する強い肯定がある。


ベケットはそれへの異議として、無力さをぶつぶつ言った。ベケットは何も主張しない。主張したら、同じ基盤になってしまう。

 

保坂和志 小説的思考塾vol.7より

 

 

 

【小説的思考塾vol.7のための箇条書き】 - 保坂和志official web site