対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

なにかの傍らにとどまるもの

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目にふれるひとつひとつのものがおどろきであるようなこの感覚を、だれもが一度はもっていたはずだ。

 

「心のある道」〈意味への疎外〉からの解放 真木悠介

 

 

 

 

2022.4.11-17

 

月曜日

くもりぞら。

妹のクラスでコロナ陽性者が出たとのことで、生徒さんはお休み。

ホームページを少しずつ修正していく。SEO対策など。

 

ukariyuhouse.jimdofree.com

 

 

火曜日

別府市教育委員や県の教育委員会に出向いて、挨拶とPRをりんさんとしてくる。

りんさんの物怖じしない勢いがすばらしい。

 

 

 

水曜日

グランドマザーの四十九日。

掃き清められたお寺のお堂に坐るのは気持ちがいい。

なんだろうこの澄んだ清浄さは心を静かにさせる。

 

 

 

木曜日

イベントのフライヤーづくり。

 

 

22時頃眠りについたら、2時頃目覚めてしまって、

それから深夜の静寂とともに1時間以上起きてまた眠る。

深夜のこの底なしのしずけさに癒やされもする。

こどものころは深夜の厠は怖かったけど。

うまく眠れた感がしない翌日へ。

寝損なう。

 

 

 

金曜日

一挙に金曜日までやってくる感覚。

 

りんさんと教育相談センターに訪れる。

ここを利用するのもなかなか敷居が高そうだ。

もっと軽やかなにいけないものか。

軽やかでないものは、忌避されるのではないか。

 

 

 

土曜日

大在埠頭を思わせるような産業道路のわきの原っぱに藤森照信のような見上げる位置にコンテナが固定され、その底面に真四角の入り口があり錆びた金属製の梯子で入っていく。(意外に中は広く)12畳ほどの空間は、古いエアコンがフル稼働できんきんに冷やされており、クーラーが苦手な私は嫌だなあと一瞬思う。中は見世物小屋のようで5,6人の男の観客がおり、ぷるぷると震える玩具の蛇を首にたくさん巻きつけた女が小さい黒人の双子に愛撫されている。この「会」を進行するエロ事師の男の顔が胡散臭くて味があった。パフォーマンスが終わり、役者?の蛇女の人と化粧を落とす鏡の前で話をする。化粧を落とすとあどけなく、会話の応答内容もまたあどけなく、演技とのギャップに驚く。体が冷え切って夢から覚めた。薄着で寝たせいもあるが、思いのほか寒い朝だった。寒さというある不快な外的刺激が、深い眠りを避けさせ夢を見、憶えさせる。コンテナも梯子も振りエアコンも見世物小屋も、すべて私の記憶のなかにあり、そのどれも指さすことができる。でもその組合せが斬新で、私を救う。

 

 

 

日曜日

目が眩むような、この絶佳の快晴をなににたとえよう。

それだけで満ち足りていて、もう私自身が対象となっているのが快い。

 

 

こども哲学の時間を開催する。

オンラインにはないものが、対面での対話にはあって、

それは、まあ「空気」なわけだけど、空気はいろいろと温度や匂いやあたたかいものが

流れるように変化していって、それがあるとき哲学対話の場では「倫理」に変わると

言いたくなる瞬間があった。

それが世間では、地獄のような圧力をもって、個をころしにくる、

そんなのばっかりだから、それを自分は変えていきたいと思う。

 

 

今日も月がきれいな夜だった。

 

夜に保坂和志による小説的思考塾をオンラインで視聴する。

聴いていると元気が出る。力が出る。生きたい、書きたいと思う。

本を読むとは、そういうことなんだ。

小説の自由とはそういうことなんだ。

 

 

 

 

3.想起されたものは我々の現在を軽く越えて、彼方へと身を躍らせ、そして突如、未来の中に立っている。


想起されたものは、我々へと向かって来たるのであり、今なお充足されていず、その意味で未来であり、未発掘の宝である。

 

4.詩の言葉を初めて聞いた際に聴き取ったものを、なんらかの〈内容〉(解釈)へと凝固させてはならない。

 

5.世界とは、数えられるものと数えられないもの、あるいは、既知のものと未知のもの、それらの総和ではない。
(本質の説明不可能性)
(芸術作品はすべて、説明可能な要素からは説明できない。)

 

7.〈主観ー客観〉〈主体ー対象〉などの二分法をいったんリセットする必要がある。
ハイデガーが繰り返し言ってること)

 

8.「夢想的なもの」をハイデガーは否定しない。


「夢想的なものを現実的でないと否定する人は、現実的なものが何かをわかって言っているわけではない」

 

9.心情的に理解することは、作品自体に対しては拒んでいることになる。
(現代は、心情・主観ばかりだ。)

 

10.芸術作品において、素材となっている物がはじめて、その素材としての本質を発揮する。


(石の硬さ、色彩の輝き、音の響きetc)
(素材自体に着目したのは、斬新だったはずだ)

 

11.芸術作品は、そのものなりの仕方で、存在するものの存在を開示する。
[別の言い方]
作品が創作されているということは、真理が形態の内へと確立されていることを意味する。

 

12.「理由もなく行き倒れになってそのままいつまでも転がっているような者を、人々は怖れる。これが先例となって、この先例から真理の悪臭が立ちのぼることを人々は忌む。」(カフカ

 

13.ハイデガーには「人は何をなしうるか」という、人間に対する強い肯定がある。


ベケットはそれへの異議として、無力さをぶつぶつ言った。ベケットは何も主張しない。主張したら、同じ基盤になってしまう。

 

保坂和志 小説的思考塾vol.7より

 

 

 

【小説的思考塾vol.7のための箇条書き】 - 保坂和志official web site