人はどうして道を失うことの焦燥と脱出への冀求のみを語ってきたのだろうか、と考え始める。壁から壁へ、敷石の起伏と屈折に身をゆだねながら歩き続けているかぎりほとんど無限に歩くことのできる毛細血管のごとき路地のなかに身を埋めることの快楽。これが迷路の悦びなのだ、と心の片隅で誰かが語る。
「狂女」四方田犬彦
1週間(8.9-15)
月曜日
十一時二分。遠くからサイレンが微かに聞こえた。長崎原爆の日。広島のときはただ聞こえなかっただけのようだった。別府でもちゃんと鳴って安心した。長崎にむかって黙祷した。足元ではない、頭上から原子爆弾は炸裂したんだな。
火曜日
保坂和志氏の「小説的思考塾」がコロナの影響で中止になったと聞く。オンラインなのに?と思ったが、運営スタッフが集まっての開催とのことで止む無く中止を決定したようだ。ただ保坂氏より早めに申し込みしてくれた人のために特典?として無料でZoomにより別企画を開催するようだ。早めに申し込みをしてくれる人が好きらしい。自分も読書会や哲学カフェなど主催しているが早めに申し込んでくれる人はやる気というか、勢いみたいなのを感じて好きなのだ。案内のメールを送った瞬間に申し込みをする人などその運動神経に感心してしまう。
水曜日
雨が降る。涼しい日がつづく。肉体がニュートラルになる。
石原吉郎の詩と言葉の晦渋には必然があり、その必然に寄り添っていく、もしくはその分からなさを味わうことが、かろうじて彼とともに「いる」ことができると言いたい。たとえば、こんな言葉たち。
海は私にとって、一回かぎりの海であった。
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望郷のあてどをうしなったとき、陸は一挙に遠のき、海のみがその行手に残った。海であることにおいて、それはほとんどひとつの倫理となったのである。
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私が陸へ近づきえぬとき、陸が、私に近づかなければならないはずであった。
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ふた月まえ、私が目撃したとおなじ状態で、ひとりずつ衛兵所を通って構外へ出た。白く凍てついていたはずの草原(ステップ)は、かがやくばかりの緑に変っていた。五月をあすに待ちかねた乾いた風が、吹きつつかつ匂った。そのときまで私は、ただ比喩としてしか、風を知らなかった。だがこのとき、風は完璧に私を比喩とした。このとき風は実体であり、私はただ、風がなにごとかを語るための手段にすぎなかったのである。
『望郷と海』石原吉郎
分かってはいけない 言葉があるのではないか
木曜日
朝から激しい雨が降る。お盆の季節がこんな雨がちだった記憶がない。
図書館の除籍本コーナーを見るのが一つの楽しみに。捨てる神あれば拾う神ありで、わたしはおおっと思ったものをそっと持ち帰る。『黒い錬金術』種村季弘(白水社)、『横尾忠則の画家の日記』Tadanori Yokoo(アートダイジェスト)、『反=日本語論』蓮實重彦(筑摩書房)、『日本の名庭』朝日新聞社編などなど。
金曜日
プルースト『失われた時を求めて』を少しづつ読む生活。インスタで「#プルースト」をフォローすると、わたしと並走するように、他のプルースト読者、現在進行形の方々の感想が届けられる。苦痛とも甘美ともつかぬ果てのよろこびが、わたしたちの「生活」にファッションではない彩りを添える。いや添えられるのではない、照らされるのだ。
成人文法性成立後に持ち越されている幼児型の記憶は(1)断片的であり、(2)鮮明で静止あるいはそれに近く、主に視覚映像であり、(3)それは年齢を経ても基本的にはかわらず、(4)その映像の文脈、すなわちどういう機会にどういういわれがあって、この映像があるのか、その前後はどうなっているかが不明であり、(5)複数の映像間の前後関係も不明であり、(6)それらに関する画像以外の情報は、後から知ったものを総合して組み立てたものである。
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比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちでとでなければ登りたくない山であった。
『徴候・記憶・外傷』中井久夫
哲学対話の勉強会への成果としてというわけではないが、自分の主催する哲学カフェのルールやコンセプトを記した「当日説明資料」を少し改訂した。主に付け加えた文言としては、「ヘイトスピーチや人格口撃の禁止」「ここで知り得た個人情報の外への持ち出し禁止」「途中で意見が変わるのOK」「設定されたテーマそのものを疑っていいこと」「お互いに質問し合いましょう」「話や考えにオチがなくてもいいこと」「言い澱む言葉や沈黙を大事にする姿勢」「場の空気を読まなくてもいい」「こんなことを言ったら笑われるのではないのか、自分の発言はつまらないのではないのか、といった心配は不要であること」ことの明記だった。
土曜日
親と鉄輪の納骨堂にお参りに行く。ロッカールームのような納骨堂。豪華なロッカールーム。西成の人たちがロッカールームに自分の持ち物すべてを預けているのを思い出した。 コインロッカーベイビーズは今は聞かないが、生まれて、生きて、死んで、そのすべてがコインロッカーに収まっていくミニマル。
昼過ぎにオンラインで「定時制高校の役割と可能性〜哲学プラクティスの視点から」に視聴参加。師の赤井さんをはじめ、様々な哲学対話実践者が「子どもたちの居場所」について語っていただく。幾つか印象に残った言葉。
・学校は居心地が良くないもの
・校則がないと困るということはない!
・道具としての学校と、表出としての学校
・居場所にはミッションがない
・文科省が言うような「学校を居場所に」は無理がある。
・「強い人間」の哲学対話ではない哲学対話とは
・教員らしくないこと。弱さの自己開示
・子どもたちの間にある小さな、ささやかなケアを見出した
・ご飯を一緒に食べること
学校図書館は多様な生を受け止める場所として、また一種のアジールとしてあったが、今は目的化されてそうでなくなってしまっているようだ。場の力を信じたい。管理するのではなくて。
(メモ)
マックス・ピカート
「沈黙は言葉の放棄と同一のものではない。沈黙は決して、言葉が消失したあとに取り残されたような、見すぼらしいものではない。沈黙は或る種の全きもの、自己自身によって存立する或るものなのである。沈黙は言葉とおなじく産出力を有し、言葉とおなじく人間を形成する。ただ、その程度が違うだけである。沈黙は人間の根本構造をなすものの一つなのだ」
夜はオンラインでの哲学カフェを開催する。テーマは「過去の行為をさかのぼって罰することとは?」。難しいテーマであったが、みなで言葉を紡いでいった夜だった。
日曜日
少しだけ晴れた。ずいぶん久しぶりに太陽を見た。
終戦記念日。石川達三『生きている兵隊(伏字復元版)』(中公文庫)を読み終わる。検閲を受けて伏せ字になった箇所が傍線として残してある。最初はまばらだったものが、クライマックスに向けて最後はもうタイポグラフィックの装飾かのように真っ黒黒になる。伏字として選ばれている箇所は、非戦闘員への殺害描写であったり、慰安婦の描写、戦争はもう嫌だといったような戦意喪失の言葉など。占領した領地で温泉旅館を見つけ、温泉にゆっくりと入る情景や、激しい戦闘の後夜が明けて目を覚ますと敵の塹壕が目の前にあって驚愕するシーンなど、ルポの文学として幾つか忘れ難い描写があった。このリアリティこそ教科書に載せたい。
自分はこの夏は、午前中創作を書き、午後は籐椅子を持ち出して庭の緑蔭を楽しむのであるが、午前中の創作活動が、午後の休息の肉体に愉悦を与えるのを例としている。自分は文学はここまで来なければうそだと思う。