対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】第八十回 別府鉄輪朝読書ノ会 1.29

 

 

 

ぼくにわかっているのは、そこにいなければならないということだけさ。それがぼくの仕事なんだ。あそこにいなければならない。

 

『愛のゆくえ』リチャード・ブローティガン

 

 

 

 

 

 

ついに別府鉄輪朝読書ノ会も八十回!

年明けての課題図書はブローティガンの『愛のゆくえ』をみなさんと

読んでいきたいと思います。

今年も読書会をよろしくお願いいたします。

 

 

◆「別府鉄輪朝読書ノ会 1.29 」

内容(「BOOK」データベースより)
ここは人々が一番大切な思いを綴った本だけを保管する珍しい図書館。住み込み館員の私は、もう三年も外に出ていない。そんな私がある夜やって来た完璧すぎる容姿に悩む美女と恋に落ちた。そして彼女の妊娠をきっかけに思わぬ遠出をするはめになる。歩くだけで羨望と嫉妬の視線を集める彼女は行く先々で騒動を起こしてゆく。ようやく旅を終えた私たちの前には新しい世界が開けていた…不器用な男女の風変わりな恋物語

リチャード・ブローティガン
詩人、小説家。1935年ワシントン州タコマに生まれる。長篇第4作にあたる本書は美しい文章とユニークな設定で発表当時から高く評価され、現在も普遍的な人気を誇っている。伝統的な文学の形態にとらわれず、平易な言葉で美しい世界を作りだす彼の作品は、レイモンド・カーヴァーなど、アメリカを代表する作家たちに大きな影響を与えている。1976年頃からアメリカと日本を往復し、大江健三郎吉行淳之介らとも交流があった。1984年カリフォルニアの自宅で拳銃自殺


○課題図書:『愛のゆくえ』リチャード・ブローティガンハヤカワepi文庫)
○日 時:2023年1月29日(日)10:00-12:00
○場 所:別府市鉄輪ここちカフェむすびの
ファシリテーター:志水
○参加費:¥1,300円(運営費、むすびのさん特製のメニュー含む)
○定 員:12名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:課題本を事前に読んで参加してください。
      1/26木までにお申込みください。

 

 

謹賀新年 2023

 

 

 

 

元旦は晴れて風なし、おだやかな一日だった。

 

行く年来る年は私の好きな唐招提寺が出てテンションが上がった。

年末は恒例のドキュメント72を見ていた。

年末にちょっと不運なことが起こったが、見方によれば幸運だったかもしれない。

厄との付き合い方は前を向いてラッキーだったと真に感ずることだ。

 

 

世界では戦争が続いているので俄におめでとうとは言いにくいが、

それでも変わらぬ(人への圧倒的無関心)星々や太陽の軌跡を見ると、

笑って新たな年を迎えたいとも思う。

 

 

朝頑張って起きて初日の出を仰ぐ。

ぐんぐんと上昇する太陽は力強い希望そのもの。

まじまじと太陽を見る機会はそうない。

すさまじい速度で上がっていく。

他国でも初日の出を見る習慣はあるのだろうか。

 

 

生命があるかぎり人はいつでも始められるし終わりはない。

そのような力強さを太陽にみた。

 

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

けれど、どこへ行くにせよ、あなたがあなたの花を咲かせられるようなところへ行かなくてはだめだ。それだけはいっておく。どこであろうと、あなたが持って生まれた才能を伸ばし、それがその場所に生きる大勢の人たちの役に立って、大きな花を咲かせることが一番大事なのだから。そういうところへ行きなさい。ぜったいにそういう場所へ行きなさい。

 

『眼と太陽』磯崎憲一郎

 

 

 

 

大晦日 2022

 

 

2022.12.31

年末から年始にかけるこの時期がとても好きだ。

内省的になるし、振り返り行く末を見つめる時間が静寂のなかにあるからだ。

 

 

この年末に心にのこった言葉。

 

 

幸せとは、同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きることという、

ハーバード大学の研究

 

自分がどれだけ出来るかは恥をかく事の先にあります。

 

 

 

 

年末に渡辺京二磯崎新ヴィヴィアン・ウェストウッドの逝去の報。

どの御方にも大きな影響を受けたが、中でもヴィヴィアン・ウェストウッド

私の人生を変えたといっても過言ではない。

 

20代の学生の頃雑誌で偶然彼のつくる服を見たときに、言い知れぬ衝撃を受け、

いわゆるダサ系の服しか着ていなかった田舎者の私に、

「ファッション(センス)」という概念を与えた。

私に啓示を与えた「ファッション」は私というものの存在と他者を繋ぐのに、

大いに助けとなった。

そういう純粋な衝撃は、そう人生において何度もあるものではない。

 

 

みなさま、よいお年をお過ごしください。

 

 

 

九州鉄道記念館 2022.12.25

 

特別鉄道オタクというわけではないが、

にちりんや寝台特急富士に関しては個人的な思い入れもあり、

九州鉄道記念館につい立ち寄った。

思いのほか充実していて、行って良かったと思った。

グッズ売り場では散財。

鉄でできたブックエンドが死ぬほどほしかったが、高すぎて諦めた。

またの機会に来よう。

 

 

 

冬の下関・唐戸市場・赤間神宮 2022

 

日本海側に近いせいか、大分よりだいぶ寒さを感じた。

それだけに酒や海鮮が美味しくしみた。

 

 

 

 

下関は海洋とそれにつづく大陸へと開かれた土地で、

コリアンタウンなどすぐにそれを感じられる。

歴史の熱い吐息が何度もはかれた。

 

赤間神宮は不思議な印象を残した神社だった。

司馬遼太郎の『街道を行く』にはここの宮司だった白石正一郎のことが書かれてある。

高杉晋作に資金援助をしていたが、維新後とくになにも見返りを求めなかったと

記されている。現在の神社にもその功績を記すものはなにもないと。

 

 

 

冬の関門海峡 2022

 

クリスマスに門司、関門海峡、下関、唐戸市場を旅した。

写真をつらつらと。

海峡にロマンあり。

関門海峡は本州と九州が卍のような絡むような形になっていて、

九州の突端が北にあり、本州の突端は南にある。

盲腸のようなぷるるんと突き出た感じがそれぞれにある。

なにかロマンに震える場所でもある。

曰く言い難いコスモロジー

祭りがみたまをはげしく揺さぶったり振るわせることにあるなら、

ここはつねに潮流が風が地を歴史を振るわせているように感じる。

 

 

 

あたたかいおばちゃんとおじちゃんのつくった焼きカレー

黄金虫という名前のお店。また来たい

 

 

入門者は入門できず

 

 

 

 

 

次にカクレキリシタンの名称であるが、長崎県下各地において彼ら自身はみずからカクレキリシタンとは称してこなかった。生月では「古ギリシタン」「旧キリシタン」、平戸では「辻の神様」、外海では「昔キリシタン」「古ギリシタン」「しのび宗」、五島では「元帳」「古帳」というように地域において異なっていた。実際には仲間内ではこのような名称を口にすることはほとんどない。以心伝心である。

カクレキリシタン』宮崎賢太郎

 

 

 

2022.12.12-18

月曜日

学生の頃、三鷹に住んでいてその駅前に狭いスペースのなかに人が集まって、

なにやら騒いでいるところがあり、ずいぶん後になってあれが角打ちというものである

ことを知った。

ドキュメント72で阿佐ヶ谷の角打ちがクローズアップされていて、

こういうコミュニティもあるんだなと感心した。

店を出ればもう赤の他人というのも、いい大人のマナーだ。

 

 

火曜日

こども哲学をゲーム味をもたせたもので考えてみるが、

ゲームに寄りすぎてしまって、「考える」ところが薄くなってしまった反省。

例えばバナナ一般について考えるのと、目の前にあるこのバナナについて考えることは

別種の体験なはずで、後者の方を私は重要視したい。

現代は前者の方が優位になってしまっている。

 

 

水曜日

気温がぐんぐん下がっていく。

それでも外でサッカーを楽しむ。

こどもは寒さより楽しさが勝る。

 

 

 

木曜日

 

 

「誰もが、どうしようもなく誰かの敵なのです。」フーコー

 

 

吉田喜重が死んだ。

 

 

金曜日

鼻炎気味で、念のためPCR検査。陰性

日中は平気なのだが、夜になると鼻づまりがひどくなる。

深夜に人の峠があるというのは、こういうバイオリズムから来ているのだろう。

逝くとくる。

 

 

土曜日

こどもが詩を書いたといって親御さん経由で読ませていただいた。

ことばの原初のつぶやきのような、世界とはじめてタッチするかのような

感動があった。本人は読まれるのを照れてどこかにいってしまったが。

 

 

夜対面での哲学カフェを開催する。

「出会いは偶然か必然か」

答えのない問いを永遠考える。

でも瞬間なにか見えてきた明かりのようなものがあって、

それに手を伸ばそうとすると、なめた綿菓子のように消えていく。

 

 

日曜日

朝起きたら鉄輪は白銀の世界だった。

12月で積もるというのは珍しい。

雪の中の温泉はまた格別。

 

 

今年最後の読書会を開催する。

1ヶ月1冊で年に12冊。

わたしとは読んだものに他ならない。

来年もみなで本の山を登っていく。

 

 

 

偉大な思想家の思索の全貌を薄く広く要約的に紹介するだけの「入門書」は、結局、何に対しても読者を「入門」させてくれない。

山本芳久

 

 

 

真に大切なのは、批判的に書物を読むことではなく、むしろ優れた書物によって自らが批判されることではないか。

山本芳久