対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

入門者は入門できず

 

 

 

 

 

次にカクレキリシタンの名称であるが、長崎県下各地において彼ら自身はみずからカクレキリシタンとは称してこなかった。生月では「古ギリシタン」「旧キリシタン」、平戸では「辻の神様」、外海では「昔キリシタン」「古ギリシタン」「しのび宗」、五島では「元帳」「古帳」というように地域において異なっていた。実際には仲間内ではこのような名称を口にすることはほとんどない。以心伝心である。

カクレキリシタン』宮崎賢太郎

 

 

 

2022.12.12-18

月曜日

学生の頃、三鷹に住んでいてその駅前に狭いスペースのなかに人が集まって、

なにやら騒いでいるところがあり、ずいぶん後になってあれが角打ちというものである

ことを知った。

ドキュメント72で阿佐ヶ谷の角打ちがクローズアップされていて、

こういうコミュニティもあるんだなと感心した。

店を出ればもう赤の他人というのも、いい大人のマナーだ。

 

 

火曜日

こども哲学をゲーム味をもたせたもので考えてみるが、

ゲームに寄りすぎてしまって、「考える」ところが薄くなってしまった反省。

例えばバナナ一般について考えるのと、目の前にあるこのバナナについて考えることは

別種の体験なはずで、後者の方を私は重要視したい。

現代は前者の方が優位になってしまっている。

 

 

水曜日

気温がぐんぐん下がっていく。

それでも外でサッカーを楽しむ。

こどもは寒さより楽しさが勝る。

 

 

 

木曜日

 

 

「誰もが、どうしようもなく誰かの敵なのです。」フーコー

 

 

吉田喜重が死んだ。

 

 

金曜日

鼻炎気味で、念のためPCR検査。陰性

日中は平気なのだが、夜になると鼻づまりがひどくなる。

深夜に人の峠があるというのは、こういうバイオリズムから来ているのだろう。

逝くとくる。

 

 

土曜日

こどもが詩を書いたといって親御さん経由で読ませていただいた。

ことばの原初のつぶやきのような、世界とはじめてタッチするかのような

感動があった。本人は読まれるのを照れてどこかにいってしまったが。

 

 

夜対面での哲学カフェを開催する。

「出会いは偶然か必然か」

答えのない問いを永遠考える。

でも瞬間なにか見えてきた明かりのようなものがあって、

それに手を伸ばそうとすると、なめた綿菓子のように消えていく。

 

 

日曜日

朝起きたら鉄輪は白銀の世界だった。

12月で積もるというのは珍しい。

雪の中の温泉はまた格別。

 

 

今年最後の読書会を開催する。

1ヶ月1冊で年に12冊。

わたしとは読んだものに他ならない。

来年もみなで本の山を登っていく。

 

 

 

偉大な思想家の思索の全貌を薄く広く要約的に紹介するだけの「入門書」は、結局、何に対しても読者を「入門」させてくれない。

山本芳久

 

 

 

真に大切なのは、批判的に書物を読むことではなく、むしろ優れた書物によって自らが批判されることではないか。

山本芳久