夏休みなど、コロナの影響で外に出ることも少なく、
鉄輪近辺を用もなくぶらぶらしていたら、この町の”よさ”が深く染み入ったようだ。
この町は優しいことに気づいた。
それは町の弱さからくる優しさだ。
弱さというのは、激しさ、派手さ、自己主張の反対にあるもの。
そうだ自分はある時期から強いものが嫌いになっていた。
人でも土地でも。
日暮れどき、長く引き伸ばされた時間の
暑さも極からゆっくりとさがっていく、誰もいない裏路地の小径を歩くときなど、
ふつふつとこの町にいることの至福を感じた。
要するにフィットして居心地がいいということだろう。
終の棲家というのか、今までいろんなところに住んできて、
そういう場所が見つかったというのは、なかなかのことではないか。
歩いているだけで幸福感が滲み出てくる町ということで、
意味もなく歩くためだけに歩く。
人生に意味は必要ないと、このときだけは思えるのだった。
関係ないけど、女の人のお団子ヘアが好きだなと思う。
夏のこの時期にしか見れないような気もする。
と言いつつ女性に限らず、男性でもたとえばリバプールのファン・ダイクなんかの
結んだ髪型も好きだから、なんかこう髪が後ろに引っ張られている感じが
好きなのかもしれない。それがなぜなのかは分からない。
八月が終わって、九月が来る。
安倍政権も終わった。なぞの抑圧感が一瞬消えたような気がした。