対話と人と読書|哲学カフェ大分

大分市で哲学カフェ大分を別府市で別府鉄輪朝読書ノ会を開催しています。

パピルスからPDFまで

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2002.10 Seoul 日本ではもう舗装されていない路を見つけるのは難しい

 

 

 

 

この本のタイトルをどうしようかとあれこれ考えつくしたあとに、私たちは正しいタイトルにいたりついたのだろうか。

 

『建築する身体』荒川修作+マドリン・ギンズ

 

 

 

 

2021.9.6-12

 

月曜日

昨日9時頃寝たせいか、今日は5時前には起きた。

今朝は涼しい。季節の潮目が変わったようだ。

 

 

ラジオプロデューサーのイイクラさんが、眠る前に新潮から出ている中島敦『李陵』の朗読CDを聴いているというので、自分も買って聴いている。とてもいい。漢文調の凜々しく簡潔なリズムがあの広い中国の平原に馬を走らせる群像と相まって遠くまで想像をはたらかさせる。日下武史の声がすばらしい。ただ僕には入眠前に聴くには目が冴えてしまうが。

 

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ジャケットからしてかっこよし。

 

 

火曜日

 

バナナは斑点が出るくらいが一番栄養価が高いと聞くが、タイミングをわずかに逃してしまうとどろどろになる。

 

 

Webcat Plusというサイトでは、なんとなくのストーリーは分かるけど、タイトルや著者名が分からないといった場合の「連想検索」ができるのだが、今日「ある老人が飲み屋に通って来るが、店の者も他の客もその老人が誰で何処から来るのか知らない」で検索したら、175万件もヒットしてしまった。「居酒屋恋しぐれ」とか、「ふしだら下宿」とか、「新しい客がどんどん来る店」とか、「栓が抜ければ飲み屋はできる」とか。

 

 

水曜日

なにかとても大切なことを書こうとしていたが、忘れた。。

 

 

ラジオのディレクターから編集が完了したとの報。3時間を1時間に圧縮したので、どう編集したのか放送が楽しみだ。

 

 

木曜日

朝の風のすずやかさが目立つようになる。日差しは強くても。空気の透明度も増す。

 

 

毎朝温泉に入る。そういう生活がしたいと思っていた。今はできている。地元の人と頭を洗いながら、何気なく話す。そのなかのひとりの爺ちゃんが、いつも冷たい缶コーヒーを持ち込んでいて、湯船に浸かって出た後、いい音をさせてプルを開け、少しづつ飲んでいるのが、美味しそうだなといつも思う。

 

 

 

蘿蔔(すずしろ・大根の別名)について調べていたら清白と出てきて、そうか伊良子清白はここからとったのかと思い当たった。「伊良子清白」と何度も万年筆で書いてみる。惚れ惚れするような名前だ。

 

 

動画に出ていたかつてのドラッグ中毒者によれば、ドラッグよりも病院で処方される薬の方がやばいと言う。完全に無気力なロボットのような人間にさせられてしまうという。たぶん患者が自殺しないように、無力化させられて、恢復までの時間稼ぎをするのだろう。生きることと死ぬことがよく分からなくなってくる。

 

 

 

金曜日

柳沢慎吾のモノマネをTikTokで見る。彼のモノマネは、私達の知らない「地元の友人」とか「高校時代の同級生」を演じて、そこに圧倒的なリアリティショーを出現させる。通常のモノマネは(誰もが知る)オリジナルのモデルがあって、そこからの似姿と微妙な差異を楽しむわけだが、彼のモノマネの原型は彼しか知らないのだが、なぜか知っているような、幽霊のようにそこにいるような原型を同時に想像させもし、笑いの渦に誘い込んでしまう。「こういう人がいるかもしれない」という想像は、まだ見ぬ人へ思いをいつの間にか馳せさせている。

 

 

 

 

 

たとえば、自分に関係のある部分(neighbor)は私の延長であり、その延長は私のようなかたちをしていないけれども、同じ人生を歩む—このことが理解できれば、私といわれている肉体がこのまま消えていったとしても、それほど恐怖に思わないでしょう。最終的に、肉体というものは、自分の周りに、違うかたちによって物質的に表現される。そのときはじめて、ああこれがからっぽの自分か、ということがわかるんだろうと思います。

 

荒川修作

 

 

 

 

 

 

土曜日

9.11の日。

この日を境に世の中が急激に右傾化していったと思う。

内向きになり、弾力性が、冗長性が失われた。今に続いている。

 

 

 

各大学のリポジトリをのぞくと、局所的な研究(研究とはそういうもの)の論考がたくさんあって楽しい。パピルスからPDFまでとか。島尾敏雄が作家であり司書であり図書館館長だったことを研究した工藤先生の論文があって、じっくりと読んだ。

 

 

 

日曜日

今日は月に一度の対話勉強会の日。対話に場において「傷つく」ということを中心に考える。対話というのは「傷つく」ことが込みであると僕は思うが、それにも様々な種類や質の違いがあり、対話の良い面だけでなく、いわば副作用としてのそれらもきちんと最初にアナウンスすべきではなどの意見が出た。

 

 

 

明日放送されるラジオの音源を先行して聴いてみた。通常音というのは遠近があって、そこの空間があることでコミュニケーションが、あるいは人と人の間が成り立つ。ただマイクによる集音は、単一のものだと、遠近が消え、一元的になりがちで、読書会の収録などは僕のうなづきが前面に出てしまって、発言者の声とかぶってしまっていた。こういうのは技術的になんとかなるのだろうが、もう遅かった。

 

 

 

 

 

あなたと一緒に入り口に吸い込まれなかったものにはすべて別れを告げ、また中に入る前に廊下であなたを取り巻いていたものや、街を歩きまわっていた時に、あなたのまわりに渦巻いていたものの大半にも、さよならを言いましょう。
 
三鷹天命反転住宅 使用法1≫ 荒川修作+マドリン・ギンズ