1本の映画を見て感想を語り合いながら、テーマについて深掘りするシネマ哲学カフェをオンラインで開催しました。
今回取り上げた映画は「嫌われ松子の一生」で、テーマは「人の幸不幸はどこにあるのだろうか?」でした。
・自分の抱える「困難」をどう意味づけるのか
・発達障害という「病」こそが神に近づく手段になりうる?
・最近起きた渋谷おバス停での殺人事件を思い起こさせた。無縁社会、孤立
・深刻なことが起こるとおちゃらける
・現実を恐れている映画
・誰も「人間」のように感じられず
・自分のことをどう大切にするのか
・「パーマネント野ばら」を想起させた
・認知力の欠如。認知のゆがみがある。セルフネグレクト
・人に依存、愛情に依存、幸せじゃない方に転がってしまう
・真似できない一途さがある
自分への暴力か他者への暴力か。
松子は他人のせいにはしていない。
国による共助の考え方の違い。
ネパールや台湾の仲間意識を主体にした共同性や
埼玉にあるベトナムの逃亡実習生を匿う駆け込み寺の存在など。
それと天性の明るさや楽天さが幸福を感じられる度合いに関わっているのではないか。
他者に助けを求めるスキルや繋がり、精神性と手を差し伸べる側(社会)の在り方と、
いずれもないと簡単に孤立してまう現代。
一本の映画を見て、いろんな方向へ話をしていきました。
いつものように結論は出しませんが、たくさんの気付きがあれば嬉しいです。
ご参加ありがとうございました。