大分で日本語教育をされているTさん提案により、留学生を交えた哲学対話の場、P4Eを初めて開催してみました。お二人の異文化のなかでの語りがたさ、伝えがたさと向き合う姿勢に感動しました。
哲学対話の場は、うまく話す必要はありません。しどろもどろでもいいのです。話がまとまらなくてもいいのです。だから、いつもちゃんと話さないといけないというプレッシャーのなかで生きる彼ら留学生にとって、とても安心して話せる場であったと思います。そういう意味で留学生のような発話に不安を抱えている人と哲学対話の場の相性の良さに気づけたのは大きな発見でした。Iさんは普段はあまり話さない方みたいでしたが、今回はとても雄弁に話していましたよ。知的安全(Intellectual Safety)が確保されていたとすれば嬉しいです。
今回は事前にテーマを決めて(「対話を妨げるものは何か?」)、留学生お二人にそれに関する文章を書いていただき、それを基に哲学対話をするというスタイルで始めました。
今回はこども哲学の手法を使って、コミュニティボールやルール決めをして進行しました。コミュニティボールはファシリテーターが不要になるのは大きなメリットだと感じました。よりフラットに自分も参加できましたね。
反省点としては話が具体に依りすぎてしまい、もう少し抽象的な話もできればよかったなと思いましたが、難しいかもしれません。
たいへん楽しい時間でした。雪のちらつく寒い中でしたが、ご参加ありがとうございました。
溢れる思いに対して拙い日本語では追いつかないというジレンマについてEさんに語っていただきました。
ふと後から思ったのですが、これって例えば小説家であったり、詩人といった人たちも母国語のなかで常に陥っているジレンマであり、その書き難いこと、表現しにくいものに向きあっているという点で留学生と同じだと思いました。小説家が母国語の中で異邦人になるとはこういうことだったのか!
大人数が来たので、びっくりしたオカユくん。。窓際で終わるのを待っていました。