対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】みんなで教育について考えるオンライン哲学対話 2.12

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炬燵が熱くて顔を出す

 

「みんなで教育について考えるオンライン哲学対話」を開催しました。

以前は「悩める教師のためのオンライン対話」としていたのですが、

もっと広く対話の門戸を開きたいと思い改称しました。

その影響か今日は多くの参加者に来ていただきました。

 

今回とりあげたテーマは「教養」について。

 

僕がこのテーマをとりあげた理由を最初に話して、それから他の参加者のもっている「教養」のイメージを共有しながら対話を進めて行きました。

 

・教養系YouTuberが語っていることは教養か?

・よくわからない

・教養が身につく本が流行っているが、読んだだけでは教養は身につかないと

・時間がかかるもの

・よくわからないけど、、面白いもの

・自分のバージョン・アップのためのツール

・教養はなんで必要なのか、誰のために必要か、仕事とどう関聯するのか

・必要ない人もいるのか、そもそもどうやって身につけるのか

・教養について考えたことは一度もないが、イコール知識ではないことは分かる

・自分の生き方、問題解決能力

・周囲の学びの姿勢に疑問をもっている。学びの価値が曖昧になっている

・「わからない」ということが、学びのきっかけになる

・実態がよくわからないもの。一人では掘り下げられないので参加しました

・教養と自己啓発の関係

・お金持ちの飾り程度にしか思われていない

・多様な人のバックグラウンドを理解すること

・主体的に「私」と結びついているもの。広さと深さがある

・歴史とか哲学や文学といった文系分野に教養感がある。理系にはない

・読書量との結び付き。実用性からは離れている

 

 

 

教養があると優しくなれるという言葉が心に残りました。

それは終わりのない学びの果てしなさと自身の命の有限性を計ったときに起こる

謙虚さからきているのかもしれないと。

また教養によって、様々な人間の背景を理解することで俯瞰的な視点に立ち、

起こりうる問題を個人に起因するのではなく、社会的な文脈の中でとらえていく、

そういったことも優しさ、あるいは寛容、ケア的な眼差しが生じるのだろうとも。

教養があたたかいものと結びついていないのなら、それは教養ではないのでは。

 

 

 

他にも気になった発言を箇条書きしてみます

・大学の教養科目は落ち着いて聞けるけど、専門科目は義務感みたいなのがある

・パチンコの知識は教養と結びつかない?

・雑学ではだめで、教養は権威と結びつきやすい

・知的なオーラ、独特な世界観、答えのない問いに向き合い続けている人間の

・人間とはなにかという問いがある人

・昔は最低限こういうのは読んでおかないといけないという「教養主義」があった

長嶋茂雄に教養を感じる?

・専門ばかではないこと、視野が狭くないこと

・なぜそこに辿り着いたのか。哀愁のような、感情と経験から発せられた知

・方法論ではない。「なぜ」があること

・すぐ使える便利なものに教養は宿らない

・知識をどう適切に問題解決に使っていけるか

・人格との結び付き

・ハードではなく、ソフトなものではないか。生きている支え、根拠になるような

・個性と教養は対立している?

 

等々

 

 

いつものように結論めいたものはありませんが、

各々のなかで持ち帰っていただき、思索を深めていただければと思います。

ご参加ありがとうございました。