哲学カフェを開催しました。
今回は「美味しい」をテーマにみなさんと考えていきました。
美味しいイコール体にいいのか?
体に悪いのに美味しく感じるのは何故なのか?とか、
美味しいは空間や条件によって決まるのではないのかとか、
いろんな問いが出されました。
美味しいは主観(文化など後天的)によって決まり、
体に良い悪いは客観的に測定できるとも。
また質よりも量が大事という人もいたり、
美味しいは食育の対象であるという意見も。
美味しいは、人の心の充たされや幸福にも関わる、
またどう生きてきたのか、どう生きたいのかにつながるという意見もあれば、
「美味しい」が正義のように無条件に求められ過ぎている傾向に疑問を呈する方も。
ふだん何気なく使っている「美味しい」も深掘りして考えてみると、
たちどころに迷宮に入ってしまいました。
たとえば絵画や映画、文学なども鑑賞する際はそれまでの経験値というものが、
評価というものの善し悪しを下支えしているものですが、
「美味しい」もそうなのだなあと感じました。
経験を抜きにした、美味しいというものにすら「汚染」されていない、
食というのがあるのか・・
古代の人はナマコなどをどう味わったのか、、想像してみます。
思索は尽きませんでしたが、ご参加ありがとうございました。