自分のいない日本語のほうが、やはり美しい。
『鴨川ランナー』グレゴリー・ケズナジャット
七月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。
今回は『鴨川ランナー』グレゴリー・ケズナジャットをとりあげ、
参加者のみなさんと読んでいきました。
はじめに自己紹介しつつ、作品の全体的な感想を話してもらいました。
・「きみ」はかけがえのない他人でもある
・この会がなければ出会わなかった小説。きらきらして好きな小説
・日本人を理解しようとしていない?
・見た目の白人のイメージが主人公を苦しめている?その違和感を綴ったもの
・この作品は翻訳できるのだろうか?
・瑞々しい文体、作者の中でももう失われたもの
・なぜ「きみ」(二人称)で語られているのか
・読みやすかった
・英会話を習うときの先生と生徒のパターンが描かれている
・APUという国際的な大学において、ここに描かれているようなことが起こっている
・どんな鍛錬があれば、このような文章が書けるのか
海外経験のある方も多く、自身の体験とともにこの作品を語られていたのが
印象的でした。海外に行ったときに、地元の人に話しかけられたいかどうか。
国際○○という集まりは気持ち悪い・・相手を支配したいアメリカ人など。
○○人である前に個として認識されることの難しさなど。
なぜ「きみ」で書かれているのかについて、たくさんの意見が出て、
どれも確かにというものばかりで驚かされました。
〈寄り添い〉という視点が含まれているというのは興味深かったです。
ラストの一文についても、充たされた終わり方ではなく、
これから続くであろう、違和感を抱え込みながらもそして人生は続くというのを
暗示しているのかもしれません。
僕自身は心の中に御伽噺のような世界をもつことの重要性について、
たしかに今はその世界観はある失望とともに薄れてしまってはいるけれど、
それでもなお彼を京都こそが故郷だと思わせる根っこには、
御伽噺の世界があるからだと思います。それが彼を守っている。
(話はそれますが)宮崎駿の新作「君たちはどう生きるか」の話も出ましたが、
写実的リアリズムの師匠の高畑勲と違って、ファンタジーを重視した宮崎駿の真意は
こういうところにあるのではと考えました。
ここちカフェむすびの店長河野さん。
今回は「違和感」をテーマに特製メニューを作っていただきました!
頭が右にある小鮎、まるごとの蟹、黒蜜で食べる関西風の心太。
たしかにどれも「違和感」のあるものでした。
でも美味しかったです!ありがとうございました。
ひさしぶりに小説を読み、小説について語り合ったという声も聞かれました。
ご参加ありがとうございました。
毎年八月は戦争をテーマにした文学を読んでいます。
次回八月は『ヒロシマ・ノート』大江健三郎(岩波新書)を読んでいきます。