別大マラソンを沿道から見た。
東京に暮らしていたころは、年1回のこの全国版のTV中継で、
大分、別府の町並みを懐かしく見ていた。
自分が走るようになったこともあって、ランナーにすっと感情移入できる。
走っている間は走っていることしかない。
孤独ですらなく、いろんな思いが脳裏を掠めることはあるけど、
そこに深く留まることはない。
自分が単なるDNAの運び屋だというのは虚しいことかもしれないが、
それは救いでもある。軽く、軽くありたく、たまにはただの容器でありたい。
そのフローのような状態に割と簡単に入っていけるのが、
ランニングの素晴らしいところだと思う。
沿道から知らない人に力強く「頑張れよー」と声援を送ることもまた素晴らしい。
いつからか「頑張れ」という言葉は使い辛くなってしまって、
使いどころはいろいろ考えねばならないけど、素晴らしい言葉だと思う。
ある芸人の「おまも頑張れよー」という返しはもっと好きかもしれない。
しんどいときに自分自身に向けて「頑張れよー」と言ってみることもある。
車を運転しているときなど、割と大きな声で言ってみる。そのときは軽くなる。
走るとそういう文脈からもフリーになるので、もっといい。