対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

キーウ

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キーウの大地と空




 

 

人間を人間として、

また世界に対する人間の関係を人間的な関係として前提してみたまえ。

そうすると、君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、

その他同様に交換できるのだ

 

カール・マルクス『経済・哲学草稿』

 

 

 

 

2022.3.28-4.3

 

月曜日

歯医者に行く。

特に痛いところがあるわけではないが、歯石などメンテナンス。

もっと頻繁にカジュアルに歯医者さんに行きたいけど、

どうしても軽い覚悟がいるものだ。

でもここの歯医者さんは対話的で、優しく穏やかで、

今まで行ったどの歯医者さんよりも気に入った。

 

気に入った歯医者さん、気に入った美容室、気に入ったカフェ、

などなどが同じ町にあること。

 

 

火曜日

早起きして健康診断。

バリウム飲んで体を宇宙飛行士の訓練の如くぐるぐるさせられるのって、

お年寄りとか無理でしょう。。

 

 

水曜日

うかりゆハウスにみんなの教室の髙部さんが訪問していただいた。

パワフルでスター性のある方。

同じ別府市内で連携しましょうという話。

横の繋がりができて、それぞれの特色をもって、

全体としてこどもたちが見られれば素晴らしいことだ。

 

 

 

木曜日

午前中歯医者さん。

丁寧な歯磨き指導。

この年になっても、完璧な歯磨きができない!

 

海を桜を見に日出城址へ。

曇り空にしずかにしずかに咲く桜もまた一興あり。

薄桜の色彩が曇り空に滲んでいた。

海沿いは風があって寒かったけど、心にスペースができた。

 

 

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金曜日

四月が始まる。

新しい年度のよろこびってあるな、桜とともに。

学校を9月始まりにする難しさはこの情緒かもしれない。

 

別府フリースクールうかりゆハウスの本格オープン!

こどもたちと向き合うと、試されているのは大人の方だという思いがする。

 

この日は昨日とは違って快晴の海と桜を見た。

 

 

土曜日

今日も良い天気。

フリーな日だけど、やることは山積していた。

考え事をしていたら、スーパーのセルフレジでお金を投入せずに店を出てしまった。

後から電話がかかってきて気付いた。店側も私も恐縮していた。

 

 

日曜日

桜を見るためにあるような快晴に恵まれる。

春の透明な今の時期の空気が無上に好きなのだった。

 

 

オンラインで対話勉強会。

今後の対話勉強会の有り様とファシリテーターのチェックリストについて話し合う。

2時間はいつもあっという間だった。

 

 

 

鋭利な刃物ですっきりと裂かれて、内臓もきれいに抜かれ、その中へ春先の陽がうららに差しこむのまで見えた。まわりでは鶏たちが遊んでいた。至福感とまぎらわしい静かさがのこった。

 
『仮往生伝試文』古井由吉

 

 

 

 

 

別府フリースクールうかりゆハウスがスタートしました!

 

副代表のりんりんが合流して、別府フリースクールうかりゆハウスが

4月1日本日から本格始動しました!

 

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最初にみんなで今日する活動内容を決めていきます。

初日なので、勉強は少なめな感じ

自分で選択するということが、元気の素になると思います。

 

 

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春休みの宿題の数学を一緒に解いていきます。

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海が今日どうしても見たいというAさんの要望。

終わって、桜が満開の日出城址へ出かけました。

 

 

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海が見え、磯の香りがするとテンションがあがりますね。

向こう岸にも、桜が満開の高崎山が。

 

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きっとこの風景をのちのちまで思い出すでしょう。

 

 

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今日はこんな感じで半日を過ごしました。

初日のプレッシャーで今日は来ないかもしれないという我々の心配は杞憂に終わり、

始終Aさんはニコニコして楽しそうにすごしていました。

これからも寄り添って、良き伴走者であるよう、共に学んでいきます。

 

 

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ねこ館長のオカユさんも大活躍の一日で、疲れ果てて眠りこけました

 

 

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スタートにふさわしい快晴の一日。

鉄輪の桜も青空に映えていました。

 

すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために 青山真治

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2022.3

 

 

 

 

あるいは彼らのもっている世界をなだめるには、殺人であるとか、それから祈りとか、それしかないという感じもどこかにあるわけですよ。


人間も動物も植物も天も地も、みんな同じように生き生きして自分を主張しようとしているということを、どうしても書こうとした。

 

 

小島信夫『私の作家遍歴』

 

 

 

 

 

2022.3.21-27

 

月曜日

春分の日

昼も夜も同じ、陰と陽がどちらも極まれる。

 

 

火曜日

気温が下がっている。昨夜はずっと雨が降り続いていた。

 

 

20年に1回行われるという隠岐の古典相撲(徹夜相撲)を特集した番組を見る。

1983年に放送のものだ。

東と西に分れて対決する。最高位は大関大関同士の対決がクライマックスとなる。

塩は1トン近く撒かれ、興奮の坩堝と化していた。

神事ゆえの狂騒で、寝ずに行われて最後は涙涙だった。

諏訪神社御柱祭もコロナの影響で中止になったと聞くし、残って欲しい神事だ。

 

 

 

水曜日

冷たい雨。

コンタクトを新調する。

高校のとき初めてコンタクトを作った眼科で。

ここの窓辺でコンタクトを装着して、

眼下に広がる公園を初めて見たときの光景を思い出した。

同じように雨だった。

窓辺の水滴の張力にあえいで伝い落ちる輪郭がはっきり見えて驚いたのを思い出す。

 

 

 

木曜日

昨日は21時前には眠って、今朝は5時前に目覚める。

やはり早起きはいい。朝は多彩な鳥の啼き声が聞こえてくる。

あいつらも朝型だ。

朝日もうつくしい。まぶしさを感じる。

 

 

 

金曜日

夜、青山真治監督の訃報を知る。

早すぎる、突然の訃報を悼む。

青山監督とはたくさんが思い出があった。

かっこいい兄貴だった。

青山真治との語らいの中に映画を発見した。

若い頃自失して京都の友人宅に泊めてもらったとき、

部屋の壁に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」の大きなポスターが

貼られていたのを今でも思い出す。

青山さんには音楽と文学と映画があったが、表現手段として映画が

もっとも苦手だったのかもしれないと書いたら怒られるか。

桑田真澄のピッチャーが一番苦手なポジションだったように。

 

 

 

土曜日

朗読部の開催。

体を楽器のように振るわせるのは、なんと気持ちの良いことか。

それにしても、もうちょっと参加者が来て欲しいけど。

ハードルが高いのかもしれない。

 

 

 

日曜日

別府鉄輪朝読書ノ会を開催する。

今回読んだのは桐野夏生『夜の谷を行く』。

革命を夢見てころしあったなかまたち。

 

 

わたしにとっての革命というのは、暴力によってなされるものではなく、

哲学対話とか読書会とか、あるいはフリースクールの活動において、

自分がまず楽しく在って、そしてすこしでも世の中が住みよいものになれば

いいなというのが革命である。

 

 

 

 

 

エリ・エリ・レマ・サバクタニ

(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)

 

 

 

 

 

【開催報告】別府鉄輪朝読書ノ会 3.27

 

 

 

 

 

長い時間を、たった一人で過ごしてきたことに、自分が自分を哀れに思っているのだった。誰とも、何も分け合わなかった、この孤独が、自分の受けた罰かと思う。

 

『夜の谷を行く』桐野夏生(文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

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三月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

今回取り上げた作品は桐野夏生さんの『夜の谷を行く』でした。

浅間山荘事件から50年、そして東日本大震災が横切っていく、

そんな作品を選びました。

 

この機会がなければ、知らなかった歴史的事実が多かったという感想が聞かれました。

 

ある組織が夢見る理想に向けてひた走るとき、

その足並みを乱す者は排除されるというのは私企業でもよくある話ですが、

それが社会の外、法の外に出てしまった場合は純化、先鋭化し、

恐ろしい結末を迎えるというのは繰り返されていることではありますが、

連合赤軍には、そこにに「女性解放」や「新しい子ども」を育てるという

もう一つの夢があったことはあまり知られていません。

 

 

 

私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ

道浦母都子「無援の抒情」

 

 

 

 

連合赤軍事件の犠牲が革命の財産になりきれていないことが、この哀しみの極みです。

重信房子

 

 

 

むすびのさんの今回のテーマは1971年、72年で、

ドリンクは72年から発売された今も続くベストセラー「明治ブルガリアヨーグルト」。

軽食は、なんと浅間山荘事件のテレビ中継がでヒットのきっかけとなった

「日清カップヌードル」に、72年の沖縄返還をモチーフに豚肉ミンチの豚味噌ごはん

アンダンスーと、にんじんしりしりでした!

作品と同じく意表を突かれたメニューでした。たいへん美味しかったです。

ご提供ありがとうございました。

 

 

次回四月はウクライナ文学の『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(新潮クレスト・ブックス)を読んでいきます。

 

 

【開催報告】朗読部 3.26

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かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。『陰翳礼賛』谷崎潤一郎

 

 

 

 

 

声の文化を楽しむ、朗読部を開催しました。

 

今回は朗読のテキストとして選んだのは、

 

詩 「サーカス」中原中也

 

随筆「陰翳礼賛」谷崎潤一郎

 

古典「方丈記鴨長明

 

の3作品でした。

 

どれも極上の声に出して読みたい日本語で書かれていて、

朗読の時間はとても贅沢なものとして感じられました。

 

普段の別府鉄輪朝読書ノ会では、作品を声に出して読むことはしませんが、

朗読部では声に出すことで初めて分かる作品のかたちというものがあり、

楽器のように声を身体に震わせて作品を味わうという体験もまた得がたく

深く魅了されるものがあります。ご参加ありがとうございました。

 

 

青山先生を悼む

青山真治監督が亡くなったことをヤフーニュースで知った。

 

 

青山真治監督との出会いは25年くらい前になる。当時映画美学校(たしか前身は映画技術美学校)の1期生として私はお茶の水アテネ・フランセ文化センターに通っていた。そのときの講師が青山真治氏だった。

 

 

私は当時大学3年生で、大学で哲学を学びながら所謂シネフィル(映画狂)という奴で、寝ても覚めても映画を見ていて、映画サークルにも所属しながら8ミリフィルムで映画を撮ってもいた。本当は8ミリじゃなくて16ミリで映画を撮りたかったけど、そんなお金はないし、もっと映画についてシナリオなり撮影の技術なりきっちり学びたかったが習いたい講師のいる学校はなかった。

 

 

ある日アテネ・フランセ文化センターで映画を見た帰り、並んでいたフライヤーの中に、新しく始まる映画学校の生徒募集の告知があり、目が釘付けになった。(このとき一緒にいた友人からは顔つきがこのときから変わったと言われた。)

 

 

講師としてのいちばんの目玉は当時イケイケだった黒沢清さんだったが、私は青山さんの存在に惹かれていた。青山さんは当時30代前半で一番若くして既に監督業をしていたので憧れが強かった。

 

 

結局、私は映画美学校へは初等科、高等科、研究科と3年ほど在籍した。多くの映画製作に関わり、幾つかのシナリオを書いた。青山さんからはたくさんのアドバイスをいただき、今でも彼の言葉を覚えている。彼のもっている音楽性のようなものが、創作への重みから私を軽やかにしてくれたように思う。

 

 

映画「どこまでもいこう」の撮影現場のきつい夜間撮影の際に、みんなにキーマカレーを作って振る舞っていただいた、あの味も今でも覚えている。

 

 

お家(アトリエ)に遊びに行ったときも、たくさんの蔵書があって、文学の下地もあることを知った。

 

 

 

すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために…

彼の作品タイトル。

レトロスペクティブをやるなら流してほしい一般には見ることの困難な作品だ。

 

 

ご冥福を祈るという言葉は遠い気がする。

ありがとうございましたという言葉の方がしっくりくる。

映画美学校を離れてからも、夢に何度か青山さんが出てきて映画を一緒に作っていた。

 

 

昨晩は久しぶりに酒を飲んで眠った。