主催者のシミズです。
日曜日に第七回目の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。
いつもより参加人数は少なめでしたが、その分じっくりと一人ひとりの話が
聴けたように思います。
この日の課題図書は保坂和志氏の『残響』でした。
複数視点による視点の切り替わりに戸惑う方もいれば、酩酊した、
こんな小説があるのかと驚いた、影を残しながら視点が移り変わっていく、
推理小説のようだったー
読みづらかったという印象も、みんなの話を聴いていくうちに
立ち上がっていく風景もあり、よくわからないと思っていたが、
ほんとうは凄い小説かもしれないと考え始めたという感想もありました。
思うこと、思われること、思い出すこと、忘れていないことをめぐるこの小説の
根っこに流れる抒情性が好きという意見も。
映画や音楽のような小説だったという話もありましたのでツイッターの保坂和志botからいくつか引用してみます。
保坂和志bot (@k_hosaka_bot) | Twitter
言葉というのはまったく特定しがたいもので、つきあいが深くなればなるほど、楽譜みたいに人それぞれの中で違った音を奏ではじめる。そういう、言葉が持っている複雑で多層的な性質が思いっきり発揮されるのが小説だ。
小説をもっとずっと音楽の受容の仕方に近づけることが、小説を、批評という小説とは似ても似つかない言葉から自由にすることなのではないか。
小説は思いを整理して伝えるという行儀いいものではない。小説には何か本質的に読解を拒む、通約不能でアナーキーなものが息づいていなければならない。そしてそれこそが、人生そのもの、長く生きてきた人間とその内奥そのものだ。
猫が好きで猫のために心を砕いている人間にとって、猫が好きで猫がいること以上の「いいこと」はない。猫は別に千両箱をしょってくるわけではなく、ここにいてくれればいい。
人間の心って、自然と誰かに語りかけるようにプログラムされているらしくて、恋愛っていうのは、語りかけるものの、ほんの一部分なんじゃないかって思う。恋人がいるから語りかけたくなるんじゃなくて、もともと心の中では、いつも誰かに語りかけているから、そこに恋人がはまるんじゃないかって思う。
今日は貸切でした。
柘榴、梨、グレープフルーツ、桃、バナナなどが入ったフルーツポンチは、俯瞰した視点からいろんな人が「そのまま」見えるという発想から作っていただきました。
シェフの田中さんより、今回の作品にヒントを得たメニューの説明がありました。
『残響』というタイトルから余韻の残る味、香りを意識して作られたとのことです。
サービスで林檎のコンポート。特殊なお酒だそうですが、忘れました(^_^;)
最後に全員で記念撮影しました。
次回11月は大江健三郎氏の『個人的な体験』を扱います。