久しぶりにオン哲!(オンライン哲学カフェ)を開催しました。
テーマは「癒しってなんだろう?」でした。
人と共にいる癒しもあれば、一人でいる癒しもある。
つながる癒しと断ち切る癒し。
求める癒しと訪れる癒し。
「主婦」とか「母親」であるとか社会的な記号から外れて、
何者でもない自分になれているときの癒し。
癒しとリラクゼーションは違うという問いかけから、
少しずつ深まっていき、物理や仏教の話から知見を得たり、
近代的な概念からの考察など、「傷」を負っていることが前提になっているとの
問いかけもありました。
参加者の方が別のサイトで感想をあげられていたので、
ご本人に許可をいただき、ここに転載します。
ご参加ありがとうございました。
***
昨日、「癒し」をテーマにした
哲学カフェに参加して
考えたことをまとめました😌
その場では
思考が止まってしまったので
一人になってゆっくり
考えをまとめました。
今の自分に必要なことだったので
記録に残します💖
✨✨✨✨✨✨✨
傷があるから癒しがある
嫌な人が居るから好きな人がわかる
相反するものの存在とともに
全てが存在していて
嫌なことは
自分の好きなものや快適な環境を
知るためにある。
だけど
一足跳びにそんな風に思えない。
負の感情を否定してしまい
癒しにならない。
始めは
嫌な感情を全て自分で言語化して
書き出すことで
その感情の存在を許す。
クソ野郎❗️とか 🤣
その次の段階で
初めて自分の好きなものが何か
見つめ、知る段階になる。
そうすることで
嫌な人や嫌な出来事が
その為にあると理解できて
そこではじめて
自分と他人を
「許す」という癒しが
起きる。
いい子ぶりっ子の私は
忘れがちだけど
悪どい自分
汚い自分を
認めて許して
やっと
全てを愛で包む癒しになる。
許しという癒しは
自分の好きなものにたどり着く
道筋になっている。
私は一人でゆっくり
考えをまとめることができる環境で
表現することが好き。
思考が止まる自分を許したから
気づいた「好き」。
など話しました。
「癒しは許しの先にある
闇をも包み込む包容力。」