対話と人と読書|哲学カフェ大分

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【開催報告】オン哲!10.16「政治的発言はなぜ嫌われるの?」

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10月のオン哲!(オンライン哲学カフェ)を開催しました。

今回のテーマは「政治的発言はなぜ嫌われるの?」でした。

テーマ性でしょうか、今回は前回とは真逆の男性の参加者の多い回となりました。

以下、主観も交えつつまとめてみました。

 

 

対話に入る前に参加者の皆さんに今回のテーマについて思うところを聞いてみました。

 

・マレーシアではカジュアルに政治の話ができる

・なぜ日本ではできないのか、文化や歴史的な背景が知りたい

・有名人の政治的発言が反発を食らうのは職人的な役割への期待として、政治的発言が含まれていないのではないか

・日本では「対立したくない」というのがベースにあることと、政治についてうまく話せるようになるための機会がそもそもない

・学校教育では、意見を持たない、主張をしない、協調性が大事ということで教えられてきたから

・政治的な知識がないと発言しにくいのはなぜだろう

・村的共同体の中で前提の分かる「知っている人」との会話は成り立つけど、「知らない人」との間での政治的な話は、お互いの前提条件から話さないといけなので面倒くさいから、うまくいかないのでは

・誰一人日本ではまともな政治教育を受けていない。政治オンチ。政治を語る以前の問題にとどまっている

・自分の給料が上がることに関わる点に関して政治に関心がある

・政治的発言・政治的表明は、共同体にとって隠すべき規範であり、みにくい動機にあたる。そもそも社会的協力に反するもの

 

 

これらをふまえつつ、対話に入っていきました。

 

・海外では政治について喧喧諤諤の議論をして言い争うこともあるが、終わればノーサイド、握手をする。後を引かない

・社会は自明のもの、完成されたものと考えるのではなく、まだまだ直すところ変えるところがあると考えるところに、政治的発言が生まれる土壌があるコミュニケーション論以外のところで、今回のテーマを考えたい

アメリカ大統領選などと比べて、日本の政治は面白くない

・政治を面白くするために個人としてどういう働きかけをすればいいのか

・個人として選挙に関わると楽しい。生き生きする

・政治に参加することが楽しむ第一歩

・演説の重要性。思想が見えない。心に響かない言葉。オリジナリティのなさ

・日本の政治家はスピーチが下手。アメリカなどはスピーチライターなどがいて練りに練っている。言葉でやり合うことがないことと、今回のテーマである「政治的発言はなぜ嫌われれるのか」はどこかで通じているのではないか

・海外では反対意見はフィードバックとして捉えるが、日本は反対意見は反抗として捉えられる

・共感や同調が大半。反対意見を述べるときは神経を使って、黒でもなく白でもなく、ちょっとずつずらしていきながら反対するw

・意見の表明は、それで終わりのものではなく、対話のプロセスである。それで終わりと思っているから炎上するのでは

 

・政府が推進する主権者教育はひどいもの

・人間が肌で感じられるコミュニティの範囲は100人から200人程度

・コロナの対策についてダウンサイズして各自治体に裁量権を与えて決めれば政治参加になって楽しくできたのではないか。面白さを感じるためには当事者意識が大事

・なにが政治的かという問いも必要かと。今ある秩序に対して発言することを政治的とするのか。なんでも政治的というわけはないのでは

・政治について勉強することが大事。それが前提になっている。勉強しないと政治家を選べないし、争点も分からない

・勉強しなくてもいいのでは。勉強しなくても論ずることができる

・勉強しないと政治家に騙される。利用される。馬鹿にされる。抵抗のための勉強

・政治は基本的人権など、人間が生きる上で根本的な改変することのできない良言いに触れている尊い行為だが、公約を簡単に翻したり、馬鹿にしている。とても本気では相手にできない

・政治についての発言は風通しの悪さをやはり感じた

・政治は結局私利私欲

・政治は私利私欲だと思わされているのではないか

・この複雑な政治の構造を意識で変えられるのか。このシステムはやりようがないのではないか

・どこの国も完璧なシステムはない。システムは前提にすぎないのでは

 

 

まだまだ対話は冷めやらぬ感じでしたが、このあたりで終了のお時間となってしまいました。政治についての話は、歴史や経済、文化、言語などさまざまな領域に渡り、ファシリテーションとしての効果的な問いかけがなかなかできませんでしたが、久しぶりに複雑な要素が絡むテーマの魅力を楽しめた時間でもありました。ご参加ありがとうございました。

 

 

 

終わって考えたこと…

 

・政治についてのある種の「あきらめ」があるのか(変えようがない?)

・それは「わかりにくさ(面白くなさ)」がもたらしているのかもしれない

・争点をはっきりさせる(エンタメ化?)

・演説が軽視されている。レトリックが軽視されていることが「政治的発言」の忌避につながっているのかもしれない

・言葉の巧みさ、弁説の良さが評価されない社会

・弁説や演説は、個としての表明。その機会がほとんどない。なので、政治的な発言をされることにもすることにも慣れておらず、アレルギーのように反応してしまう

SNSはその練習?いまのところ炎上がほとんどだが

・匿名ではやはり個の表明にはならない

・やはり学校教育が大事。

 

 

衆院選の近いタイミングで政治についてのテーマをとりあげましたが、もちろん政治は選挙の時だけにあるわけではなく日常のなかにあるので、もっと政治を日常的に考え話せる場を作っていきたいなとも思いました。そういうレッスンとしても哲学カフェはあるのだろうと。個人の意見を表明する場を取り戻す試みとして。