対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

やさしい場所

生命がそこにある感じをまざまざと感じる

 

 

 

幼児は禅のこころを持つアナキストだ。

 

『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』ブレイディみかこ

 

 

 

 

2022.8.8-14

月曜日

 

 

 

「知性的な人」というのは「周囲の人たちの知的パフォーマンスを高める人」というのが僕の個人的定義です。いくら個人として豊かな知識があったり、議論が巧みであったりしても、その人がいるせいで「周囲の人たちの知的パフォーマンスが低下する人」は機能的には反知性的です。

内田樹 twitter

 

 

すさまじい解体音。ユンボのオペレーターが興に乗ったのか今日はやけにリズミカルで、それが辛かった。

 

 

 

火曜日

中井久夫氏が逝かれた。逝かれてしまわれた。

巨星、大きな星だった。

大きな大きな遺産を残してくれた。

なによりまず医学と文学が出会う場所を示してくれた。

それが救いだったが、今はそんな人は少ないように思う。

 

 

 

水曜日

Mくんとは自然に哲学的な問いについて考える。自由とは運命とは。殺すか殺されるか、それとも話し合いか。

 

 

北九州の旦過市場がふたたび火事になった。

広がったのは構造的な問題だが、起こったのは個人の不注意だろう。

映画館も焼けた。なんてことだ。

 

 

木曜日

 

「優しさを不可能にしている制度というものがある。そのような、人間が優しくあることを不可能にする仕組みや制度と闘っていくということが、私は社会的に優しい人間の条件だろうと思います。」(大江健三郎『生き方の定義』岩波書店、P13)

 

本の猪 twitterより

 

 

進撃の巨人」をまとめ買いして、1巻から読み始める。

哲学的な問いに満ちている。

巨人は画家ゴヤから発想だろうか。

 

 

金曜日

グランドマザーの初盆。

西福寺にお参り。

清められた場所の心地よさ。

お経とはまずなによりその朗々とした響き。

 

 

以前サイパンに行ったときに、エメラルドグリーンの海辺で泳いでいて、日本人の多いサイパンなのだがそのうちの一人が、私の空耳だったのか、「兎追いしかの山〜」を歌い始めて、そのときそのリゾートの浜辺の空気が一気に緊迫したものになって、なんというかその響きが慰霊に似たものになり、あれは何だったのだろう、ここで未だ見つかる遺骨を収集し、焚き上げると、その煙は皆日本の方角の方へ流れるという。。それにしても終戦の時期とお盆の時期が重なるというのは、なんという偶然か!

 

 

 

オカユの眼が調子が悪く、涙と目ヤニで辛そう。

お盆でどうぶつ病院は休みだった。

 

 

 

土曜日

夜にオンラインでソーシャル・カフェを開催する。

テーマは「寿司職人が何年も修行するのは無駄か?」

対話をするなかで、このテーマに潜む大きな水脈を見つけられた。

またまとめを書きたい。

 

 

日曜日

熱波のなか、塩田千春展へ別府の中心街を歩く。

 

塩田千春の作品は見ているときより、離れて町を歩いているときや一日経った後の方が

ググッとくるものがあるなあ。

 

 

今夏初の西瓜をいただいた。

葛飾北斎晩年の超絶技法による西瓜図をいつも思い出す。

 

 

 

 

「文体」を獲得して初めて、作家は、机に向かわない時も作家でありうる。なぜなら、「文体」を獲得した時、言語は初めて、書かず語らずとも、散策の時も、友人との談話の時も、電車の中でも。まどろみの中でも、作家の中で働きつづけるからである。

 

中井久夫