ところが、私たちが”privacy”という言葉を用いるとき、それはなによりもまず剥奪deprivationを意味するとはもはや考えない。
第二章 公的領域と私的領域『人間の条件』ハンナ・アレント
「私的」であると言うことは、他者の存在が失われていることを意味する.
『公共性』齋藤純一
みじかい肥前、佐賀への旅。
佐賀はいつも通りすぎていくばかりだったけど、
今回の旅ではその精神性が確かめられた。
よい旅だった。
最初にむかったのは西九州新幹線が開通したばかりの武雄へ。
お目当ては、光と影のあるTSUTAYA図書館が運営する武雄市図書館へ。
まず船のような形をした御船山を背景にしたロケーションがすばらしい。
なんというのか気持ちがいい。駐車場とかも機能性だけでない、ゆとりが感じられる。
それらも含めて風景としてデザインされているような。
館内は、商業空間と公共空間がなだらかに連続していてスタバもあり、
人の呼び込み(賑わい)としては成功しているように思われる。
平日でも人が絶えないようだ。
ただ図書館としての利用者(市民)ファーストかと言えば、
そうではない部分もたくさんある。
賛否の議論には踏み込まないが、翌日伺った伊万里市民図書館の衝撃と比較すると、
ここに「人」はいるのかという問いが生まれる。
消費者ではなく、人が、人として、居ることのできる場所なのかと、
図書館や公民館という公共の場所は、本来そこを目指すべきなのではと
気づかされた。