この絶望的に破壊的な爆弾が炸裂しても、その巨大な悪の総量にバランスをとるだけの人間的な善の努力が、地上でおこなわれ、この武器の威力のもたらすものが、人間的なものを一切うけつけない悪魔的な限界の向こうから、人間がなおそこに希望を見出しうる限界のこちらがわへまで緩和されるだろう、という予定調和信仰風な打算が可能であったからであろう。
八月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。
八月は戦争文学を読み継いでいく回です。
今回は三月に八十八歳で亡くなられた大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を
参加者のみなさんと読んで感想を語り合いました。
人間って、どうしようもないなという感想から、
今回読めて良かった、大江フリークになった、つらかった、前半が難しかった、
ちょうど読み直していたところだった、生々しい手触りがあったなど
読む者にさまざまなな「動揺」を与える作品であったようです。
対話のなかで、大江の言う「真に広島的な人間たちとは?」や、
大江は誰に向かって書いたのかという問いが出たり、
ヒロシマ・ノートは核が支配する世界で人間はどのように生きるべきかを
真剣に問うた作家だという意見もありました。
また大江は科学者としてのエビデンスではなく、作家的想像力によってこの世界の
根源を問い直したのだという意見も強く印象に残りました。
一方で理想の受難者像を求めているという指摘やこれはいいのかという疑問も
ありました。
今回のメニューはむすびの店長河野さんがお母さんに戦時中の食べ物を聞いて、
作ったものでした!ずいきの茎やさつまいもの蔓、麦ご飯など質素な食事となり、
味わい深かったです。ありがとうございました。
暑いなかのご参加ありがとうございました。
次回九月は関東大震災から百年。
再刊されて間もない『羊の怒る時』江間修(ちくま文庫)を読んでいきます。