対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

ききとりうるかぎりの

日出町の魚見桜と菜の花と雨





 

 

わかったな それが

納得したということだ

旗のようなもので

あるかもしれぬ

おしつめた息のようなもので

あるかもしれぬ

旗のようなものであるとき

商人は風と

峻別されるだろう

おしつめた

息のようなものであるときは

ききとりうるかぎりの

小さな声を待てばいいのだ

 

石原吉郎「納得」

 

 

 

 

文芸評論家の宮崎智之さんのツイート

僕の実感では、文学部には文学が好きな学生が集まっていて、社会人になっても文学の話をしている人が多いので、人生をトータルで考えると、とても意義深い進学先だと言えそうです。

 

 

そう言えば大学時代は友人とずっと文学のこと、映画のこと、哲学のこと、美術のこと、見たテレビのことなど会えば永遠と語り合っていたのを思い出した。就職したら、周りにそんな話ができる人間など一人もいなかった。たまに文学好き、映画好きの人などいたが、仕事の立場などが邪魔して、心から話すことなどなかった。

 

わたしはもしかして読書や哲学対話など10年近く継続しているのは、失われたこのときの原風景を取り戻そうとしているのかもしれない。

 

生産性とかではない、ただ語り合う、悦楽とそこにある実存の光。

 

先日20代の方達と話す機会があって、彼等彼女等は10時間でも電話で哲学談義のようなことをすると言っていて、抑え難く、今しかないそれを青春と呼ぶのだと心で想った。

 

 

最近の晴れた日は春の鳥たちの声が聞こえ、それだけでも悦ばしく、辺りを見回し、上を向く。財布を新しいものに新調した。下着も新しいものに替えてはくと気持ちいいのだった。