対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

玖珠町立学びの多様化学校で子どもたちと哲学対話をしました。

 

 
玖珠町立学びの多様化学校で、子どもたちと哲学対話をしました。9年生、7,8年生、小学部とそれぞれ45分ずつ、途中給食をいただき、1日かけて実践しました。写真撮影やフォローをうかりゆハウスのあやこさんに手伝っていただきました。
 
たくさんのオーディエンスのいる中での哲学対話は初めてでしたが、この学校の場所自体が笑いに満ちた和やかな場所だったので、私は普段通りにできました。
 
教え込むのではなく、いかに引き出すか。子どもたちの可能性とよろこび、問いを自分事にすること、誰も取り残さず、否定せず、その子の存在のカタチを汲みながら、認め合い、存在をまるごと受け入れる。出てきた意見の概念を整理し、関連付け、哲学することがゆっくりじっくりとできたように思います。私自身、ここまでやれるという今後の大きな自信となる経験になりました。
 
終わって夕方、先生たちと振り返りの研修もとても充実した時間で、先生たちそれぞれに気づきや学びがあったようで、小学部の先生から「あたたかい」ファシリテーションと言っていただいたのは、知だけでなく、情や心の響き合う対話の場にしたいと常々思っているので、とても励みになる嬉しいお言葉でした。
 
問いを自分事(主体的に)として考えることについて。私は一方的にケンカはだめだと教え込む教育よりも、そもそもケンカとは何なのかみんなで考えていく教育の方に可能性を感じますし、子どもたちも大人も楽しいのではと思っています。
 
 
あと哲学対話は大人でも子どもでも無理に話さなくてもいいという点です。ここは学校の教育観とぶつかるかもしれません。哲学対話は自発的に話すことを重視しつつも、聴くだけの参加もOKで、問いを各自が立てて対話のテーブルについた時点で、私にとってはすでに満点です
最後に人間関係の形成について大分大学の藤村先生が言及していただいたのも嬉しかったです。哲学対話は相互理解にもつながります。定期的にできればクラスのコミュニティの成熟度があがっていきます。
 
 
ありがとうざいました。今後の学びの多様化学校の益々の発展を願っています。
 
 

9年生は、問いが成立する条件(視点)まで考えることができました。ただ知識に依るところがあったため、この問いを選んだ場合、前段の講義が必要だったかもしれません



7、8年生はコミュニティが醸成されていて、Pネームで呼び合い、問いかけや応答があり、もっとも「対話」的なクラスでした。さまざまに脱線しつつも、「わからない」から逃げずに考え続けました



小学部との哲学対話はもっとも「哲学した」と言えました。開始20分くらいは動きが少なかったですが、足場を細かく組んだ問いかけを辛抱強くしていき、それぞれの体験談に寄り添うことで「自分事」とすると、問いそのものの前提を疑うハッとする意見が飛び出していきました。



密に寄り添う



給食を30年ぶり?くらいにいただきました。なんかいい