対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

アクティブレストに思ふ

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死の淵をあるいている日日。月の残業が160時間を超えていて過労死ラインが80時間というから倍、心身ともに疲れ切ってしまい(体重もひと月で5kgも落ちた)転職も考えねばならんなあと近くに住む友人と久しぶりに再会し、鉄輪の冨士屋さんでぜんざいをいただきながら話す。彼も昔ブラック企業で酷使され体を壊しそのときに整体や鍼灸に出会い今の職につながったそうだ。レリジエンスが大事とはいえ、長期的なストレスに人は脆く簡単に壊れてしまう。

 

急勾配の階段の運動も兼ねて柞原八幡宮へお参りに行く。心が疲れたときはぼーとしながら、ここの空気を吸うようにしている。冨士屋さんの庭に咲く花の明るさとか、神社の巨木に元気をもらう。読書会や哲学カフェを開催することで人から喜ばれる、なにかしら文化や人の人生、変化に関わる、それ自体が自分や相手の力になるような、そういうのを仕事にせねば。そういうことが重要な時代でもある。

 

唐突かもしれないけど、やさしい社会を作りたい。そこに私の場合、文学とか対話とか哲学カフェとか映画があるんだ。

 

 

 

 

 

【開催案内】第五十八回 別府鉄輪朝読書ノ会 3.28

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『JR上野駅公園口』柳美里河出文庫

 


東日本大震災から10年が経とうとしています。 毎年3月は震災に関連する本を読むようにしています。 この震災を遠く九州で体験した私は、第三のコミュニティの重要性に気付き、この読書会を立ち上げるきっかけにもなりました。今年は 柳美里『JR上野駅公園口』(河出文庫)を読んでいきます。


内容紹介 (Amazonより)
一九三三年、私は「天皇」と同じ日に生まれた―東京オリンピックの前年、男は出稼ぎのために上野駅に降り立った。そして男は彷徨い続ける、生者と死者が共存するこの国を。高度経済成長期の中、その象徴ともいえる「上野」を舞台に、福島県相馬郡(現・南相馬市)出身の一人の男の生涯を通じて描かれる死者への祈り、そして日本の光と闇…。「帰る場所を失くしてしまったすべての人たち」柳美里が贈る傑作小説。全米図書賞翻訳文学部門受賞。


○課題図書:『JR上野駅公園口』柳美里河出文庫
○日 時:3月28日(日)10:00-12:00
○場 所:別府市鉄輪ここちカフェむすびの
ファシリテーター:志水
○参加費:¥1,200円(運営費、むすびのさん特製の軽食、ドリンク代含む)
○定 員:10名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:課題本を事前に読んで参加してください。
      3/25木までにお申込みください。  

 

 

 

 

【開催報告】第五十七回 別府鉄輪朝読書ノ会 2.28 『深い河』遠藤周作

 

 

 

 

地面では傷ついた兵士の呻き声や泣き声が聞こえるのに、小鳥たちはまったくそれに関心がないように、ひたすら楽しげに鳴き声をかわす。

 

『深い河』遠藤周作

 

 

 

 

 

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第五十七回の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

今回の課題図書は『深い河』遠藤周作でした。

 

 

キリスト教などの宗教の知識を補い合いながら、

信仰や救済について、愛や誠実さについて深いところまで話しができ、

充実した回になりました。

 

神なしでは救済はないのかという問いに対して、

鳥(世界)は人間に関心がない、このことこそが救済だという発言。

この作品のとらえている射程は信仰から始まり無神論まで達しているとの発言も。

ここまできて時間となりました。

 

 

むすびのさんの作品にヒントを得たお食事の数々、

鯖のムニエルのスープカレー、オニオンスープ、

ゴールドブレンドコーヒーゼリーと美味しくいただき

幸せな時間を共有できました。

 

 

 

対話のなかで「生活と人生」の違いの話が出て、

この読書会は「人生」の部分に関わる貴重な対話の場としても

捉えられるのではないのかと、主催者として思いました。

 

 

ご参加ありがとうございました。

 

 

 

次回3月は柳美里さんの『JR上野駅公園口』(河出文庫)を

みなさんと読んでいきたいと思います。

 

参加希望者はホームページよりお申し込みください。

 

kannawanoasa.jimdofree.com

 

 

紡がれる鉄輪

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鉄輪の町を歩くときは、自然と歩幅もひろくゆっくりとしたものになっている。

 

鉄輪は母が若かりし頃美容師として修行した町。

 

母には母の、私には私の鉄輪の記憶があり、

 

それらは寄る辺なき人生のなにかしらの止まり木となって

 

慰安の場所になっているに違いない。


人は記憶によって守られているし、生き長らえることもできる。

 

幸不幸関係なく。

 

私のいう記憶とは、忘れてしまったものも含んでいる。

 

いや寧ろ忘れてしまったものこそ、今の私をつくっているに違いない。

 

すぐれた写真はそういうものが写っている。

 

まれに深夜、だれもいない鉄輪の町を徘徊すると、

 

そういうもので圧倒され、興奮にのまれることがある。

 

そうしたとき、徘徊して私に見られることで解凍されるアーカイブとは、

 

死者そのもの。建物とか地霊とか猫や樹木も含めた、死んだ者たちだ。

 

 

 

 

「夜の羊達」井坂洋子

 

さよなら とさけんだ時は

 

君はもう眠るように見知らぬ時へ

 

腕いっぱいの羊達と

 

よりそいささめきながら

 

歩いていって

 

私は昨日の土地へ

 

みすてられているのだ

 

“さよなら”

 

ともう一回さけんで

 

もう一回君の生あたたかい息が

 

戻ってくれたら と

 

たくさんの暗い陰といっしょに

 

おもみが肩にあざをつくって

 

どんどん流されてゆくのに

 

それでも

 

恨めしく振り返ってみるのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【開催案内】オン哲!1.4(オンライン哲学カフェ)

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年明けて、1月の企画のご案内をいたします。オンラインですが、正月ボケに効くと好評の年明けの哲学カフェです。参加希望の方は、このメールへの返信で構いませんので、お気軽にお申込みください。哲学や文学の知識は不要です。聴くだけの参加でも構いませんよ♪



◆「オン哲!1.4(オンライン哲学カフェ) 」  

今回のテーマは「〈普通の人〉による差別、暴力とは」をテーマにみなさんとオンラインで対話したいと思います。参加希望の方はこのメールの返信で構いません。よろしくお願いいたします。

 
*ファシリテーターのコメント
レイシズム嫌韓、その他の差別、またネットによるヘイト行為等々を行っている人たちは特定の思想団体に属しているというよりも、どこにでもいる〈普通の人〉だと言います。これは自分の身の回りでも思い当たることが多い指摘ですが、そもそもこの〈普通の人〉ってなんなのだろうかと、問い考えてみたいと思いました。またどうすればレイシズムがなくなるのかなども考えていければと思います。
 
以下の内田樹氏のブログを参考までに読んでいただければと思います。

「朝鮮新報」のインタビュー - 内田樹の研究室


 
 
○テーマ: 「〈普通の人〉による差別、暴力とは」  
○日 時:1月4日(月)20:00-22:00
○場 所:各自パソコン(カメラ・マイク付属もしくは内蔵)の前へ(原則デスクトップかノートブックパソコンにて参加してください。)  ※ ipadスマホでの参加は構いませんが、全員の顔が同時に見れないので不自由さがあるかと思います。
○方 法:Zoomを使用します。
ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円*paypayかamazonギフト券か私に直接お支払いください
○定 員:約15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:開催前日までにホームページからお申込みください。
 
 

【開催報告】第五十六回 別府鉄輪朝読書ノ会

 

 

バッグの底から、髪の先から、ひじからあごから雨は流れ落ち、わたしはスニーカーのなかで雨を踏み、これ以上はひきのばせないくらいの長い一歩を何度もかさねた。角をまがるところまで来たとき、目を閉じて、息を吐いた。そして祈るような気持で五秒をかぞえ、ゆっくりとふりかえってみた。でもそこには誰の姿もなかった。

 

『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子講談社文庫)

 

 

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第五十六回目の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

 

今回は川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』をとりあげて、

参加者のみなさんと対話していきました。

 

以下一部ですが、参加者の発言を箇条書きにまとめます。

 

・男として三束さんの行く末に興味がある

・英語の直訳のようなタイトルが謎めいていて気になった

・読むのが苦しかった。でも身につまされた

・タイトルがキラキラしているけど、中身がそうで内のが興味深かった

・引用的な感情では生きていない冬子さんと三束さん

・冬子さんの主体性を回復する物語りに涙が出た

・ずっともやがかかっていて、ぼやけていて、読んでいて苦しかった

・もらった香水が同じものだったことの意味は?

・入江や聖という名前に作者の仕掛けがある

・聖から見た三束さんが知りたかった

・冬子に苛立ちや苦しさを覚えるのは私の中にも同じものがあるから

・沈黙や待つことのできる冬子と三束の関係がよい

・これは恋愛小説なのでしょうか?

・土のスープのざらざら感から現実に戻った

 

 

「入江」という名前は浸食されて削られていく存在というイメージが僕にはありました。またすべてを受け入れる場所という意味も。

 

あと「しずかに」というのが漢字ではなく、ひらがなでひらかれていて、 

これが書かれてある文章が10カ所くらいはあったと思うのですが、

それがかなり効いているというか、物語の鍵となっているなと感じました。

 

同じ本を読んだ人同士が集まって語り合うことの豊かな時間を

今回も味わうことができました。

むすびの河野さんの美味しい高級魚イトヨリのお料理も豪華で美味しかったです。

ありがとうございました。

 

 

今年最後の開催となりました。

来年も参加者のみなさまの忘れ得ぬ読書体験となるような作品を選んでいきたいと

思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

町のともしび(たとえあなたが行かなくとも店の明かりは灯っている。バッキー井上)

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日が暮れるのが早くなった。

 

冬はなんというのか、夜にむかって暗くなるというだけのことの、

 

寂寞の程が尋常ではない。

 

そんななかにあって、町の灯り、特に新しい店のそれなどは

 

大いなるやさしさとなり、慰めになる。

 

都会のクリスマスのイリュミネーションなど、

 

その冬の寂寞感から逃れるためにあるのではないのかとさえ思っている。

 

町で行う読書会や哲学カフェは、形のない町のともしびだとも思う。

 

そうであればいいなと思う。

 

息をするのもやっとな年末年始で、ただ日が陰、日が昇るのだけは

 

しかと受け止めつつ、一日一日、一週間一週間が過ぎていく。

 

町のやさしさ、会のやさしさ、人のやさしさ、は休息につながる。

 

そういうのを提供できていたらいいなと思う。

 

写真にもやさしさはある。

 

或る、まなざされたやさしさ。

 

怒濤の一週間。怒濤A、怒濤B、怒濤C…が続いていく。

 

たしかに字の如く、怒濤は怒りに似ている。

 

そんななか文学や映画や写真といった芸術に触れることは、

 

なんと魂のなぐさめになることか。

 

それもまた私にとってのやさしいともしびなのだし、

 

それを読書会で穏やかに共有できることも愉しいことで。

 

 

 

文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年が走ってきたが、そのうしろには狼なんかいなかったという、その日に生まれたのである。

 

途轍もなく丈高い草の蔭にいる狼と、途轍もないホラ話に出てくる狼とのあいだには、ちらちらと光ゆらめく仲介者がいるのだ。この仲介者、このプリズムこそ、文学芸術にほかならない。

 

ナボコフ

 

『本物の読書家』乗代雄介(講談社