対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】オン哲!5.22(オンライン哲学カフェ)

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◆「オン哲!5.22(オンライン哲学カフェ) 」  
 
久しぶりのオンラインによる哲学カフェを開催します。今回のテーマは〈癒し〉です。コロナ渦のなか、ストレスがたまることが多いと思いますが、みなさんは何が〈癒し〉となっていますか?癒しはそもそもどこからくるのでしょう?参加者のみなさんと一緒に問い、考えたいです。聴くだけの参加でも構いませんよ♩


○テーマ:「癒しってなんだろう」
○日 時:5月22日(土)20:00-21:45
○場 所:各自パソコン(カメラ・マイク付属もしくは内蔵)の前へ(原則デスクトップかノートブックパソコンにて参加してください。)  ※ ipadスマホでの参加は構いませんが、全員の顔が同時に見れないので不自由さがあるかと思います。
○方 法:Zoomを使用します。
ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円*paypayもしくはamazonギフト券でお支払いください
○定 員:約15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:開催前日までに以下ホームページからお申込みください。
 

〈哲学カフェ大分〉の対話のルールやコンセプトなど

 

 

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〈哲学カフェ大分〉の対話のルールやコンセプトは、

対話の開始前にいつも僕が読み上げて共有しているものですが、

一度ここに書き記したいと思います。

 

対話のルールは、それぞれの哲学カフェで違いますが共通しているものも多い

でしょう。対話のルールは、なにか問題や障壁が感じられる度ごとに少しずつ改変

されて今日にいたります。ルール設定そのもの是非やその内容に関して様々な議論が

ありますが、ひとまず参加にあたっては守っていただきたく、守れない方は参加を

遠慮していただきたいと思っています。対話の場はサービスではなく、お互いが

お互いを尊重しながら形成されていく公共の場です。

そのルールに沿って対話することで、問う、話す、聴く、考えるが可能な限り

抑圧されずに全うできると考え、またそのような対話を体験をすることで、

〈対話的態度の涵養〉につながります。

 

 

 

 

 

■哲学カフェとは?

哲学カフェは対話を試みる場です。たとえ同じ環境にいたり、同じ出来事を経験していても、考えることや感じることは人によって違います。哲学カフェでは、その日集まった人たちが一つのテーマについて話し、聴き、考えるというシンプルな行為を丁寧に重ねたいと思っています。

 

・あるテーマについて、自分が考えたことを簡潔に伝える。

・人の話を聴いて、わからないことがあれば質問をする。 

 

繰り返しこのやりとりを行うことで、各々の中で考えが次第に深まり、そのテーマが内包している様々な問題意識が共有されていきます。

 

 

■コンセプト

ディベートではありませんので、発言に優劣や勝ち負けはありません。

・最終的になにか答えや正解が出るわけではありません。答えや正解のない問いを

 みなさんと一緒に考えたいです。

・哲学カフェは学校の委員会や会社の会議とは違って、全員でなにか一つの結論や

 合意を目指す場所ではありません。

・各自の使う言葉の定義付けはしないまま、進行します。

・意見は途中で変わっても構いません。

・知識や情報より、できるだけご自身の体験に則した話を求めます。

・年齢や性別、肩書きと関係のない、フラットで開かれた場をつくります。

 

 

■ルール、きまりごと

・発言はしてもしなくても自由です。聴くだけの参加でも構いません。

・途中退出やお手洗いもご自由に行かれて下さい。

 ただ途中参加はこの会のルールやコンセプトを共有できないことになりますので、

 できるだけ避けて欲しいです。

・発言をするときは挙手をしてからでお願いします。←これは重要

・人が発言をしているときは、最後まで聴いて下さい。←これも重要

・発言はできるだけ簡潔に、演説のように長々となりすぎませんように。

・専門用語を使われる場合は、わからない人にもわかるように説明をお願いします。

・うまく話す必要はありません。途切れても、しどろもどろでも構いません。

 各自のテンポ、沈黙や間を最大限尊重したいです。

・わからないことがありましたら、どんどん質問してください。

 

 

■禁止事項

本コミュニティ内外を問わず、以下の迷惑行為を行っている方の参加は禁止と致します。

ヘイトスピーチに代表される他者の尊厳を著しく踏みにじる行為。

・自身の開催されているイベントやコミュニティへの誘導行為、営業行為。

ネットワークビジネス自己啓発セミナー、宗教や金融商品、その他の勧誘。

・空気を読まない異性へのアプローチを行う人。

・その他参加者のみなさんが迷惑と感じる行為全般

 

 

「対話の可能性」

 

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鷲田清一さんの「対話の可能性」という

詩のような文章にふるえた。

 

 

縦書きで書けないのが残念だが、シェアしたいので書き写してみる。

改行はこちらでしました。傍線も僕が引いています。

 

 

 

 

 

対話の可能性

 

人と人のあいだには、性と性のあいだには、人と人以外の生きもののあいだには、どれほど声を、身ぶりを尽くしても、伝わらないことがある。思いとは違うことが伝わってしまうことがある。〈対話〉は、そのように共通の足場をもたない者のあいだで、たがいに分かりあおうとして試みられる。

 

そのとき、理解しあえるはずだという前提に立てば、理解しえずに終わったとき、「ともにいられる」場所は閉じられる。けれども、理解しえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。

 

対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるために試みられるのではない。語りあえば語りあうほど他人と自分との違いがより微細に分かるようになること、それが対話だ。「分かりあえない」「伝わらない」という戸惑いや痛みから出発すること、それは、不可解なものに身を開くことなのだ。

 

「何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものです」(バーナード・ショー)。

 

何かを失ったような気になるのは、対話の功績である。他者をまなざすコンテクストが対話のなかで広がったからだ。対話は、他者へのわたしのまなざし、ひいてはわたしのわたし自身へのまなざしを開いてくれる。

 

 

対話は、生きた人や生きもののあいだで試みられるだけではない。あの大震災の後、わたしたちが対話をもっとも強く願ったのは、震災で亡くした家族や友や動物たち、さらには、ついに ’‘損なわれた自然’’ をわたしたちが手渡すほかなくなってしまった未来の世代であろう。そういう他者たちもまた、不在の、しかし確かな、対話の相手方としてある。

 

             

 

せんだいメディアテーク館長 鷲田清一

 

 

 

【開催報告】アートで哲学カフェ in 国東半島 5.3-6

 

 

 

最後に訪れたのは、「成仏」という名前の地名につくられた、

宮島達男の「HUNDRED LIFE HOUSES」という作品。

 

いままでこの開催報告の冒頭に宮島氏の言葉をもってきたのは、

ここに結びつけるためということもありましたが、

参加者の問いかけのなかに評価」とは関係なく存在するもの(作品)

というものがあり、それが私のなかにずっと響いていたからでした。

また最近見直したジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」

3月に私設展覧会のあった大分の画家佐藤俊造のことも思い出していたから。

それらの聯関を考えたかった。

 

 

映画「パターソン」の主人公パターソンは、日頃バスの運転手をしながら

合間合間に詩を書いています。

書いた詩を出版したりして世に発表するという気はないようです。

妻のローラは、家でペインティングをしたり、ギターを弾いたりして、

無名だがアーティストとして生きています。

またこの町のコインランドリーでは、夜ラップの詩を練習する黒人が出てきて

忘れ難い印象を残します。

誰もが生きるということと創作することが直結していて他者の評価というのに

関心がないような、その簡潔さのようなものに心打たれます。

 

佐藤俊造のことは最近の展覧会で友人に強く薦められて知った画家です。

展覧会で見た絵について、私には正直ピンとくるものは少なかったけど、

彼が日出町で農業をしながら砦を築いて創作し続けていたという姿勢に

心打たれるものがありました。

 

それと宮島達男の語るアーティスト、Art in You.という言葉、

そして評価とは関係なく存在するものが一挙につながったようです。

 

 

 

今回最後のアート鑑賞。

最後残れる方達でファミレスに寄って対話の続きをしました。

おつかれさまでした。

 

なにかしらこの体験が日常生活を照らし出すものであればと願います。

充実感も違和感も大切にしつつ。

報告はこれで終わりです。

 

 

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佐藤俊造展

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【開催報告】本読みに与ふる時間 5.9

 

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不定期ですが、日曜日の朝の時間にオンラインで少しだけ読書時間を設けるという

試みをやっています。

参加者の方々はそれぞれ自分の読みたい本を持ち寄って読みます。

特に発言をしたりといったことはありません。

静かに読む時間を共有するだけです。

親子で参加される方もいらっしゃいますので、気軽に周囲の読書好きの人を

誘って参加していただけると嬉しいなと思います。

単純に人が本を読む姿ってうつくしいなと最近特にそう感じます。

 

 

 

【今回読まれた本】

『最後の親鸞吉本隆明ちくま学芸文庫

『彼女たちの場合は』江國香織集英社

『hyposubjects: on becoming human』

   Timothy Morton & Dominic Boyer(Open Humanities Press)

『分解の哲学』藤原辰史(青土社

 

 

僕は『最後の親鸞』をこの時間によく読んでいます。行きつ戻りつしています。

読み終わらなくてもいいと思っています。難しいですが、文体そのものが思想と

なっているような本を他に知りません。朝のこの時間に無になって読むと、

すっとはいってくることもあるので活用しています。

 

『hyposubjects: on becoming human』はplayfulに「見ること」を知りたいから

選んだというコメントいただきました。

大学生の頃は洋書をよく読んでいたけど、、最近は読んでないなあ。。

日本語訳よりも原書の方が頭に入るんですよね。

「playfulに知りたい」っていいなあ。自分も使おう。

 

 

『分解の哲学』は森田真生さんとの対談を聞いてとても興味を持たれたとのこと。

僕は花を生けて徐徐に腐れてしおれていくさまが好きだったりします。花腐し。

 

 

 

 

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ではまた次回お会いしましょう。

 

 

Art in You. Art in You. Art in You...

 

 

 

 

私が愛した世界は15億の人口だった。60億人が暮らす今の世界は、もはや私とは無縁の存在です。


レヴィ=ストロース

 

 

 

 

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晴れて無職になって半月ばかりが過ぎる。

とにかく自由ということの素晴らしさを骨の髄まで味わっている。

日本のサラリーマンも年に1ヶ月か2ヶ月くらい休みをとれるようにすればいいのに。

世界はやさしくなるよ、きっと。

 

平日の町の静けさ、素晴らしさを君は知っているか?

何もかも見過ごしていないか?

鳥の声を葉の擦れる音をちゃんと聴いているか?

ちゃんと移ろいいくものに目を耳を匂いを向けているか?

自分の責任で生きるとは、自分の時間を生きるとは日々実感として迫ってくる。

 

一歩一歩鉄輪の路地裏を歩いても寝ても覚めても

これからはきちんとこのブログで記録として残そうと思う。

 

 

月曜日(憲法記念日

「アートで哲学カフェ in 国東半島」を開催した。 

前日の深夜に申し込んでくれた初参加の方が場を楽しんでくれてよかった。

遅くまで対話して家に帰り着いたのは23時を過ぎていた。

前と後ろを気にしながらの運転は疲れたが、よい企画だったと思う。

自分は「哲学ツーリズム」でみなと釜ヶ崎を歩いたときにも思ったが、

こういう旅の企画をコーディネートをするのに気質的にとても向いていると思う。

ある占いの方から自分は人に気付きを与えるのが役目だと言われたのを思い出した。

また企画しよう。 

 

火曜日(みどりの日

毎朝木刀の素振りをしている。重さは5kg以上あるので振るのはなかなか大変だ。

初めは20回くらいしか振れなかったけど、今は60回いくようになった。

自然逆三角形の体になる。100回が目標。

合気道家はこの素振りによって氣を練るようだけど、わからない。

振る場所を選ばないと近隣住民から危ない奴に思われる。ま、危ない奴だけど。

 

頼んでいた玄関マットが届く。鉄輪のレトロなタイルと合うような。

ふかふかで踏み心地のよいこと。

僕はモノへの信頼があって、好きなモノで囲まれていたいと思う人間。

というかすばらしいモノだけに囲まれていたい。

それだけでテンションがQOLが上がるのだ。 

 

 

水曜日(こどもの日)

ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」を観直す。

何度見てもすばらしいな。どのカットもじわっと魂に染みいる。

プロでない人が芸術と人生をどう関わらせるのか静かに描写している。

 

雨上がりの別府公園を走る。30分ほど。

マスクをしながらは苦しいので、外周を走ってマスクは外した。

僕は走るのが好きだけどそれは音楽が聴けるからだと思っている。

部屋では音楽はあまり聴かないので。音楽が鳴り終えるまで走る。

 

 

木曜日

いとこのパティシエ兼バリスタのMちゃんと熱く夢を語り合う熱い夢を見る。

 

なんか急に沖縄に行きたくなった。それも離島に。 

 

下手だけど自分で作る味噌汁が途方もなくうまい。

 

 

金曜日

月末の鉄輪朝読書ノ会でとりあげる石牟礼道子苦海浄土』を読み終える。

魂が震える。どんな対話ができるかほんとに楽しみだ。2時間では足りなさすぎるを。 

 

「この世界からどうしても意識が反りかえってしまう幻視者の眼」渡辺京二

 

CINRA.NETの鉄輪特集がすばらしい。

 

走る。30分ほど。

 

 

土曜日

掃除は神事であるとか、片付けは命懸けであるとかいう言葉が好きで、

そんな言葉を思い浮かべながら今日は台所まわりを掃除する。

 

片付けていたら古い高級そうなブランデーが出てきて飲む。
質の良いお酒は酔い方も上品だ。酔うといろいろポチッて危険。

酔っ払って、そのまま眠る。 

 

 

寝ているときに大事な人からメールがきていた。

 

多文化に生きるこどもネットワーク大分という活動を知る。

 

 

日曜日

朝の9時から「本読みに与ふる時間」を開催する。

昨日酔っ払って寝たせいか寝不足だったが、清々しい時間を過ごせた。

滋賀から親子で参加してくださる関係がうらやましい。

参加のOさんにアプリ、クラブハウスのことを聞いて招待状を送ってもらう。

 

 

あたらしい活動拠点となる鉄輪にある旧家を片付ける。

古い電子レンジがでてくる。ダイヤル式であたためるものを選ぶようだ。

酒のかん…

 

 

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【開催報告】アートで哲学カフェ in 国東半島 5.3-5

 

 

名前のない海岸と名前のある私たち。

 

岸辺のない海に辿りつく

 

 

 

目的を失うと、すべてまわりの責任にする。「環境が悪い」「日本の文化度が低い」「社会が悪い」「マーケットが悪い」…そして、戦略を巡らし、外堀から埋めようとする。これではいつまでたっても自分の「質」と向き合えず、一流のアーティストとして生きられない。

 

アーティストとして生きること 宮島達男

 

 

 

最終スポットへ行く前に、寄り道をした。 

気まぐれに名前のない海岸へ立ち寄った。

(後で調べたら向田海水浴場という名前だったけど)

 

 

マジックアワーの前に展がる茫漠たる空と海。

いまの時期はいつまでも日が落ちない。

渚の音は心地よく遠くに聞こえ、潮は入江のかたちにそって抗うことなく、

ゆるやかに向きを変え蛇行していた。

 

予定にない無為でゆたかな時間を過ごした。

この海辺の前では自分が何者であるかは必要ない。

 

近くに〈海辺と珈琲ことり〉という名前の喫茶店があった。

この素通りされるような、ちいさな場所を愛しているに違いない。

 

 

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次は最後のスポットへ、つづく。