時枝は、英語を天秤に喩えた。
主語と述語とが支点の双方にあって釣り合っている。 それに対して日本語は「風呂敷」である。中心にあるのは「述語」 である。それを包んで「補語」がある。「主語」も「補語」 の一種類である!( 私はこの指摘を知って雷に打たれたごとく感じた)。
『
一つの日本語観』中井久夫
2021.10.4-10
月曜日
今日は意識的なオフの日として、隙間時間を作って映画「MINAMATA」を見に街へ出かけた。感想としては、水俣の映画というよりは、ユージン・スミス「入浴する智子と母」撮影秘話といった感じだろうか。素直に感動したと言えない部分がある。水俣がMINAMATAとしてこうして世界から光を浴びることを大いに歓迎したいし、これによって若い方たちが石牟礼道子の著作などに手を伸ばしてもらえるのなら意義深い作品となるだろう。水俣病の入門の入門ということで。文句を言いたいのはハリウッド型勧善懲悪では水俣病問題を描けないということである。そのややこしさや複雑さに向き合わずに水俣病をなんらか「分かった」気になるのはとてもまずいということだ。唯一そのややこしさに近づいたのは、チッソの社長がユージン・スミスにあなた使っているフィルムの原料もこの工場で作られているみたいなことを言う台詞だが、それに対するユージン・スミスのリアクションは特になかった。チッソの社長もチッソであれば、緒方正人氏の言うように、「チッソはわたしであった」のである。でもプロデュースしてくれたジョニー・デップ氏には感謝したい。(肥薩おれんじ鉄道の空撮には感動した)この後に続くとも言える、原一男監督の映画「水俣曼荼羅」には期待したい。
あと見て思ったのが、サルガドのコンセプトって、ユージン・スミスからいただいているのだろうなと。
火曜日
昨日見た映画「MINAMATA」がもやる。フィクションであれノンフィクションであれ、ついていい嘘とついてはいけない嘘がある。例えば映画「ラスト・エンペラー」では中国が舞台だけど、溥儀をはじめ皆英語で訳を演じている。これはついていい嘘だと思う。たとえば「MINAMATA」では、最初にユージン・スミスが泊まる家はまるで和モダンのお洒落な邸宅だが、これはついてはいけない嘘に類いする。桑原史成の水俣関連の写真集を見ると、びっくりするような貧しい家々のなかに住まう水俣病患者とその家族が写し出されている。貧困との闘いがあったこと最初に示すチャンスだと思うが、そこは何部屋もある「豪邸」だった。
最近はノンアルコールでよい。酔う気分だけ味わえれば夜も活動ができるし。積極的なノンアルの使用法。
水曜日
Twitterで誰かが選んだ読書すべき100冊のすべてが自己啓発本になっていて人文系の読書界?に物議を醸しているようだ。私は自己啓発本も文学書も哲学書も読むが、自己啓発本を読書としてカウントするのは違和感がある。たとえば取扱説明書やパンフレットを読んでも、それを読書と言えるのだろうか。それと同列のこととして考えている。文学書や哲学書は「情報」ではないし。
ユージン・スミスとアイリーンで思い出したけど、クリストとジャンヌ=クロード、ストローブ=ユイレとかマドリン・ギンズと荒川修作とか、海外では夫婦の連名で作品を発表することがあるけど、日本ではあまり聞かないな。
木曜日
昨年の10月に北海道を旅したのを想う。
旅の欲求が疼く。
ノーベル文学賞はタンザニア出身のアブドュルラザック・グルナ氏だった。和訳もなく、知らない作家が受賞するというのは、ノーベル文学賞の理想的な在り方かもしれない。光を当てることが大事だと思う。
金曜日
昨日は無性に眠くて22時前には寝て、今朝は5時半頃起床した。朝の時間がとれるのはすばらしい。習慣づけたい。
寝ている間に、東京の地震とサッカー日本代表のサウジ戦敗北とがあったようだ。
JFA、日本サッカー協会の本部は東京の本郷三丁目の住宅街にあって、以前この周辺で仕事をしていたときになんでこんなところにあるんだろうと思った。本郷は本郷台地といって小高い台地になっていて、冬などは気持ち寒かった。東京は関東平野と呼ばれているけど細かく見れば起伏がたくさんあって、どれも由緒があり魅力がある。
いつかのナポレオン・ボナパルトの言葉、真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である。
飼っている猫のオカユちゃんの調子が悪い。微妙なのだが、動きがいつもと違って緩慢で覇気がない。いつも以上に甘えてくるので、しばらく抱っこする。猫のごろごろ音は傷の恢復などに有効だと聞く。撫でてやるとごろごろ言う。夜になると調子が戻ってきた。
夜の高橋源一郎氏のラジオは読書会についてだった。冒頭の高橋源一郎の一人語りが好きなのだが、彼が東京拘置所に収監されていた頃の読書体験を語っていた。彼はここで言葉を失ったのだった。
土曜日
机を片付けていたら乱れた字のメモ書きが出てきて、「ペルト」「1978年」「スンマ」「ゆっくりいそげ」との言葉があった。そのまま検索してみると、アルヴォ・ペルトというエストニア生まれの作曲家の書いた「スンマ」というストリング・オーケストラ作品にたどりつき、YouTubeで早速視聴。好きすぎて購入手続きをする。たぶんラジオで流れてきたのを必死で書き留めたのだろう。
来週末のカフェフィロさん主催の読書会で『四国遍路』辰濃和男(岩波新書)が課題図書となっているので読み進めているが、海を隔てた隣県で遠巻きに見ていて「四国遍路」が身近なものに感じられて、体験したくなってくる。日本にはこういう「生まれ直し」や「穢れを落とす」装置がたくさんある。
日曜日
対話勉強会で知り合ったMさんの主催する「哲学対話を楽しむための問いかけるトレーニング」にオンラインで参加。3時間のオンラインは初体験だったが楽しく問いのトレーニングができてあっという間だった。問うことと意見をいうことのチームに分かれて、その役割を交代したワークでは、問うことと意見を言うことを鮮明に分けることのメリットを感じた。通常の哲学対話では、このあたりはごちゃごちゃしているから。
対話の途中で、AさんがBさんの意見に対して「意味が無い」と言った場面があった。言い方の問題もあり、その言葉には角が感じられ、Bさんはなんらかショックを受けたと後で語った。司会の方や参加者のフォロー(言い方に注意すること。こう言い変えたら角がたたないのではないのかという提案)があった。ある発言に対して、意味が無いと感じるときは確かにあるが、それをストレートに言っていいほどの人間関係がお互いに無いときには、言葉を選ぶことが重要であると思うし、哲学対話とは畢竟、そういうことを学ぶ場であるとも思う。対話的態度の涵養。でもこういうことを大事だと思わないひともいるだろう。そういった場合、事前にルールとして組み込んでしまうのが良いのか、今はわからない。
われわれは、共感させられる訓練を沢山して、理解する訓練をしていないとつぶやかれたツイートを読む。「理解」というものが、哲学と対話をつなぐものであるかもしれないと直観する。相手を理解する訓練は自分を理解する訓練にそのままつながるだろう。
しきりに誘うものがあった。
なにもかもどこかに追いやって四国路を踏みしめたいという思いが年を追って深まってきている。そう思いながらも一方で、まだ機が熟さないというためらいがあり、なかなか踏み切ることができなかった。
あれは四十四歳のときだった。初めてお遍路というものをしたことがあり、それ以来ずっと、四国路のあちこちを歩いている自分の足先や杖の響きがこころのどこかに居すわっていた。高知の海の色や愛媛の山の面影がふっと閃いてこころを騒がすこともあった。