
哲学カフェ大分を開催しました。
今回は「さびしさって何だろう?」をテーマに哲学対話しました。
今回は特にみなさん経験ベースで語っていたので、 参加者同士の問いかけも盛んで対話が深まりました。
さびしさを感じ切った方がいいのか、避けた方がいいのか、 紛らわした方がいいのか、 紛らわし方にも善し悪しがあるかもしれないとか、 さびしさそのものが原動力になったり、 さびしさを表明することの難しさ、 スキンシップの少ない日本の風土との関連、「さびしい」 という言葉そのものが持つ効力のようなものについて語られました 。
これまでの内容を踏まえて、「さびしさ」 の反対語って何でしょう?と問いかけたところ、「勢い」とか「 充ちる」という言葉が出てきました。
対話が終わった後はみなさん、 さびしさに対してニュートラルな立ち位置に立ったようで、 祭りそのものの楽しさもあるし、 終わった後のさびしさもまた味わい深いものだという意見が印象に 残りました。 寂しさの表出に罪悪感がなくなったというのも面白かったです。
みなさんが最初に挙げられた問いです。
Q さびしさは鍛えられる?
Q 足るを知るが出来ない時、心がさびしくなるのか?
Q 何故、私は寂しいと感じる事が出来ないのか?
Q さびしさが無くなったらどうなる?
Q 寂しさを豊かさに転化できるにはどうすればいいのか?
Q 動物も感じるのかな?
Q さびしさの経験を重ねるとさびしさに強くなれるの?
Q さみしさは感じた方がいいのか?
Q さびしさをまぎらわすために何かしてみたことはありますか?
Q 硬直していく心と身体にそれでも秘む生の感情は表出することはあ るのか?
Q さびしさは埋めようとした方が良いのか? 埋めようとしない方が良いのか?
Q ”さびしい”と思ったとき どんな行動をとりますか?”さびしさ” で何かにすがったことがありますか?
さびしさとさみしさの表記の違いも気になるところ・・
ご参加ありがとうございました。



