対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】アートで哲学カフェ in 国東半島 5.3-1

 

 

作者不詳がいちばん素敵だ。

 

 

 

アートは職業になじまない。むしろ、アーティストは生き方である。そうした生き方と思い定めれば、自由になれる。うまいへた。評価されたされない。売れた売れない。人と比べない。楽しいから描いていた頃。そして見てくれた人に喜んでもらえたことが幸せだったあの頃。人の評価でなく、自分が良いと本当に思えるものができたときの喜び。それが本当の自由。

 

アーティストとして生きること 宮島達男

 

 

 

抜けるようにどこまでも広がる国東半島五月の空。

すばらしい天候のなか、「アートで哲学カフェ in 国東半島」を開催しました。

告知が急だったこともあり人が集まるか心配でしたが、

最終的には5名で開催することができました。ありがとうございました。

 

 

アートで哲学カフェは初めての試みでした。

以前読んだ『教えない授業』鈴木有紀(英治出版)という本に感銘を受けた僕は、

いつしかアート鑑賞と対話を結びつけた、〈対話型鑑賞〉を実践してみたいと

考えていました。

このコロナ渦のなか、室内での対話はなかなか難しい面もあるので、

思い切って外に出て他人の考えを聴き、自分の考えを話す機会をつくりました。

 

そして大分・別府から参加者を車に乗せつつ、道に迷いつつ、、

第一ポイントの千燈石仏に辿りつきました。

事前に検索されて参加者に予備知識として調べられるのを避けたいため、

目的地は僕の頭の中だけにありました。

今回は検索エンジンから離れるというのも裏テーマとしました。

 

 

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国東半島の風景、国見町千燈

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看板は幾つかあるのに目的地になかなか辿り着けないというカフカ現象。こういう状況を楽しめるかどうか。参加者のOさんが第一村人の方に話しかけて場所を教えていただきました。

 

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国東は新緑の真っ盛り。光輝く瑞々しいペパーミント・グリーンが目に染みいった。



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謎の祭壇



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フェンスをくぐり抜け、少し険しい山道を昇ると石仏のための小さな御堂があった

 

ここでは前述の『教えない授業』に書かれてあった〈めかくしアートツアー〉、

(ブラインドトーク)を使って対話型鑑賞をしました。

 

 

「みる」ことの意義や、さらに自分のみたことを言葉にして他者と共有することの意義について考えるワークショップ。二人一組でペアを作り、一人が目隠しをして、もう一人は作品について言葉で説明をします。みえていない人に、その作品をイメージしやすいよう、みえているものを言語化して伝えるという作業は、やってみるとなかなか難しく、楽しくもあります。

 

最初は一方通行だった「説明」が、回数を重ねるごとに、目隠しをした側から「色はどうなっているの?」といった質問が出るなど、双方向の「話し合い」に変化していきます。そしてお互いに「聴き合い、確認し合う」ことで、より実際の作品像に近づいていけることに気づいていきます。

 

『教えない授業』鈴木有紀

 

 

 

 

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参加者は目隠しをして石仏の前に座し、目隠しをしていない人がその石仏を説明した。目隠しをされている人は想像力をふくらませ、説明する人はなんとか正確に伝えようとよく見て、言葉を選んだ。目隠しをされている者は、説明者に質問をして、想像を現物と近づける

 

 

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一通り説明が終わった後で、目隠しを外す。想像通りだった方、想像と違った方、さまざまな反応があった。というか思ったより彫りが不鮮明で対象が見えづらく対話の材料としてどうだったのかといいう反省もあり。。ただ時間をかけて見るといろんなものが顕わになってくるという面白さもあった。

 

阿弥陀二十五菩薩来迎図石仏。僕は個人的にこの石仏が大好きなのであった。

 

 

詳細にレリーフを観察すれば、石板の右下方に屋形があって、中に念仏行者が合掌しているのがわかる。(右画像)

この念仏行者に全ての菩薩が体・顔を向けている。
中央には、阿弥陀如来の下生印座像(仏様のつくる手の形で、下生(げしょう)とは、右手が胸、左手ひざ。親指と薬指で輪を造る形。)があり、これを取りまく二十五菩薩(観世音菩薩・薬王菩薩・大勢至菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・陀羅尼菩薩・法自在王菩薩・白象王菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・光明王菩薩・山海恵菩薩・金剛蔵菩薩・華厳菩薩・日照王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・三昧菩薩・獅子吼菩薩・大威徳菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・無辺身菩薩)、前面に蓮花を捧げ持った観音菩薩と合掌し新生を讃歌する勢至菩薩、左には奏楽や舞踏、合掌の菩薩群が来迎(らいごう、浄土宗ではらいこう。仏教中の浄土教において、紫雲に乗った阿弥陀如来が、臨終に際した往生者を極楽浄土に迎える為に、観音菩薩勢至菩薩を脇侍に従え、諸菩薩や天人を引き連れてやってくること。また、その様子を描いた図様を来迎図(らいごうず)という。)している。

左上に不動明王、右に多聞天がこれら菩薩を守護するように配置されている。

 

千燈石仏HPより

 

 

 

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訪問者は少ないのか、説明書きが苔むしていた

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周囲にはこれはこれで遺産となりうるような石仏が無造作に置かれていた

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終了後、次の目的地国東半島の北端長崎鼻へ向かいました。

 


次に続く。