
話が噛み合わないとき(貴重な体験!)は、お互いの文脈を理解できていない場合が多いです。
たとえば、ある日の読書会での齟齬をざっくりまとめると、
Aさん:苦しんでいる彼女をどうしたら救えるのか、その具体的な方法をここで考えないと生産的な対話の場でないと思うのです。
Bさん:人は自分自身によってしか救われる道はしかないんです。
Aさん:それは冷たいですよ。じゃあ、何もしなくていいんですか?
ここだけ切り抜いても分かりにくいかもしれませんが、AさんとBさんはそもそも違う文脈で考え、話をしています。話のレベル、次元が違うと言ってもいい。それに気づいているかどうかがまず一つ。Aさんは人間的な地上的な目線。Bさんは神様のような天上的な目線(と私は解釈しました)。この目線同士はこのままでは永遠に交わりません。
Aさんは、実際的な処方を求める話をしている(そういう話をしたい、考えたい) Bさんは人間理解への抽象度の高い話をしている(そういう話をしたい、考えたい)。優劣ではないが、Aさんは表層的、Bさんは深層的とも言える。
そして第二に、気づけていない場合はファシリテーターや周りの人が指摘することが大事だと思われますが、これがとても難しいと思います。その場の瞬間的な判断が求めれあること、そして文脈を読むためには深い修練、積み上げられた教養と思索が必要だからです。
読書会の場合でも、その本の本質をきちんと読み取れているか、文脈をつかんでいるか問われます。誤読は読者の許された特権ではありますが、テーマ性が強い作品の場合、正確に読む必要があると思います。もちろん主催者としてそういった作品は避けるという手はあります。
しかし参加者を「(正誤を)ジャッジしない」ということは、ファシリテーターであれ、最も守りたいことではあります。
どうすればいいのか。
ここでも別ジャンルからの援用をして考えてみたい。カウンセリングの神様と言われたカール・ロジャースから思索を深めていこうと思います。
※ここまで書いてきて、『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公キム・ジヨンが苦しんでいたのは、自分の文脈が理解されないことだと気づきました。
以下につづく。