対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

ポケットのなかの『出家とその弟子』

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もう世界中の誰のこともああだこうだ言うまい。なんだかとても若返り、同時に言いようもなく老いた感じがする。

 

『ダロウェイ夫人』ヴァージニア・ウルフ

 

 

 

 

2021.10.25-31

 

 

月曜日

福岡最終日。選んだホテルは安かったが、朝食がとても充実していて、普段は朝食など適当なのだが、がっつりといただいた。焼き魚から、サラダ、辛子明太子、納豆、焼き海苔、ふりかけ、佃煮、高野豆腐、だし巻き卵、もずく、肉じゃが、高菜、梅干し、ご飯に油揚げの味噌汁、バナナ、オレンジ、葡萄。これだけ食べるとお昼はパン程度で済むのがいい。

 

 

外気は冷たく、初冬を思わせ、キンモクセイの香りがどこからか香った。唐人町商店街は鯨肉を売っている魚屋があった。

 

 

今日で朗読セミナーも終わり。上級篇。参加者のレベルも作品のレベルも上がる。自分はまだこのクラスにはまったく達していないが、上の世界というものがどのようなものか知りたくて上級篇も受講した。

 

 

朗読をする会を企画しようと思う。朗読は一人では上達できない、聴いて、聞き比べて、意見を言ってもらえる環境が必要だ。

 

 

終わって別府鉄輪に帰る。行きも帰りも高速バスの乗客は少なかった。鉄輪に帰ったらオカユが周辺を散歩していた。

 

 

 

火曜日

朝、ホテルとは違う朝。

福岡にいたときの空気をまだまとっている。

空間は遅れてついて消滅する。

 

 

眞子さまが結婚された。おめでたい。

婚約から長かったことだろう。

それにしても一般人になるとはどういう思いだろうか。

またかつての雅子さまのように、一般人から皇室の人間になるとは

これも、どういう思いなのだろうか。

解放と拘束。

 

 

 

 

 

 

水曜日

「日本のいちばん長い日」をDVDで見る。1967年製作の岡本喜八監督の作品だ。

 

 

昔の俳優はきちんと文芸作品の朗読ができたと聞く。発声の仕方が今の俳優とはそもそも違う。リアリティの問題もあるが、役所広司などは旧来の発声をしつつ、現代劇に馴染んでいると思う。2015年版の「日本のいちばん長い日」は未見だが、1967年版に拮抗しうる者として役所広司を選んだのではないのだろうか。1967年版は劇中、高校生がポケットからはみ出た岩波文庫版の出家とその弟子のクローズアップのカットがある。ちょっと異様なカットとも言える。それだけに岡本の思いが込められたカットだろう。書物など軟弱なものとして隅に追いやられた時代だったかもしれない。そしてそれは後にもう一度うち捨てられたカットとして登場する。それにしてもその高校生たちを煽る横濱警備隊の天本英世のきちがいじみた演技は尋常ではなかった。天本英世の映画なんじゃないのかと言いたくなるくらいに。

 

 

 

木曜日

よい天気が続く。冨士屋さんのウスギモクセイが再び香り始めた。

今が満開だろう。

冨士屋ギャラリーのお庭を歩いて、紅茶とザッハトルテをいただいた。

日曜日の読書会にもまだ間に合うと思うので案内したいと思った。

 

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金曜日

打ち合わせ。

不登校の児童たちのための学習支援の場をつくろうと話し合う。

哲学対話を理念的な背景とした場所を考える。

 

 

土曜日

夜にオンラインで、「悩める教師のためのオンライン対話」を開催する。

今回は「親ガチャ」について話し合う。

競争を下りる、競争から外れる、社会から下りることの可能性のなさについて、

最後すこしだけ話した。

そう言えば、天本英世は下りた人だったと思う。

wikipediaには、忘れえぬ人を思い続け、生涯独身だったと書かれている。

 

 

 

日曜日

月に一度の別府鉄輪朝読書ノ会。

今回は村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』をとりあげた。

私は村上春樹に対して個人的な深い思い入れはないが、

デビュー当時から同時代的に生きてきた方たちにとっては、

とても愛されている作家なのだと思った。

コロナも落ち着いてきて、参加者が戻ってきたのがよかった。

初参加者の方も何人か来ていただいて有り難い。

 

 

終わって希望者を冨士屋さんに連れて行った。

ウスギモクセイはまだ満開だった。

喫茶室は貸し切りのため行けなかったが、庭を歩いてその香りを楽しんだ。

 

 

 

選挙。

自分は政治についてこうあって欲しいと思う願望を選挙を通して実現させたいと誰もが考えるが、そうならない現実がかれこれ10年以上続いているのはつらい。重苦しい圧迫感や不全感のようなものが続いている。文学は逃げ場なのか、そういうとき、文学、小説を、書かれたものを読む。『出家とその弟子』を読んでいた、あの青年将校もそうだったのではないか。

 

 

 

 

海はまだヤルタやオレアンダがなかった頃も同じ場所でざわめき、現在もざわめき、私たちがいなくなったあとも同じように無関心にざわめきつづけるだろう。その恒久不変性のなかに、私たち一人一人の生や死にたいするこの全き無関心のなかに、恐らくは私たちの永遠の救いや、地上の生活の絶え間ない移り行きや、絶え間ない向上を保証するものが隠されているに相違ない。

 


『犬を連れた奥さん』チェーホフ