対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

エッセー

晩夏の挽歌

この世界で、人間という生き物に知覚の能力を与えているものは、まず自然であって、決してその逆ではない。 『セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹 2022.8.22-28 月曜日 外に出たら、秋のような風を感じてしまった。 火曜日 打ち合わせをした。たぶんいやあれば…

やさしい場所

生命がそこにある感じをまざまざと感じる 幼児は禅のこころを持つアナキストだ。 『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』ブレイディみかこ 2022.8.8-14 月曜日 「知性的な人」というのは「周囲の人たちの知的パフォーマンスを高める人」というのが僕…

塩田千春展「巡る記憶」8.14

ミュージアムと内と外が呼応するようにそれはあった。 なだらかに連続性をたもちつつ、路地へとアニマは流れていった。 日常がアートであるように、アートが日常であるように、 いま生きているこことそこが結ばれていた。

生成のテーマ、テーマの生成

課題提起教育において、人間は、世界のなかに、世界とともにあり、そしてそこで自分自身を発見する方法を、批判的に知覚する能力を発展させる。 課題提起型教育方法のプログラム内容は、すぐれて対話的であり、生徒の世界観によって構成・組織される。そこに…

旅の記憶〜山口宇部へ 8.4-5

窓から見える田園の風景は夏そのものであり、また本州を感じさせるものだった。 哲学対話のファシリテーションのために別府から宇部へと旅する。 旅というか移動なのだが、それでもすこしは旅だった。 大分県外を出たのは、昨年12月の京都・大阪以来だった。…

W・B・イェイツのように、私は他の人々の庭を楽しむのだ。

窓から外を見ると、あらゆるものの間の距離が消え失せ、夜明けの光の中ですべてが新たな眼で見つめられた。J・クリシュナムルティ 2022.7.25-31 月曜日 ケアを中心としたこども哲学の可能性についてずっと考えている。 しかしケアというものがなんなのか、と…

カフカの泣いたホテル

「考えることでひとは強くなる」と思われている。主体的に自己決定できるようになると言われている。また、対話をすることでひとびとと協働する「力」がつき、社会で成功する信じられている。 哲学対話に乗り気じゃない生徒や学生に、大人たちは「社会に出て…

ゆったりと真にカルチベートされた人間になれ

「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物…

私は私自身を救助しよう。

「自由な泳ぎ手 24」Wolfgang Tillmans , 2003 私にとってたとえそれがどのような旅であろうとそれはいつも北へ向かってゆくものなのだ。間章 毎日、毎日が祝福だった。 クリシュナムルティ 2022.7.4-10 月曜日 あたらしく来た生徒さんとネコのオカユが気が…

つまり窓が開き、夕方には眩しい光(言葉ではなく)が地上にとどく。

Nagasaki,2013 サングラスのうしろで目をなかば閉じ、家々の番地も街路の番号も見ないように歩いた。 『ザーヒル』ボルヘス 2022.6.27-7.3 月曜日 5時起床。 昨日の読書会の余韻。 すぐ隣のむすびのさんで行われたというのが信じられなくもあり、夜の静けさ…

川のない橋/橋のない川

むしろ治療者の役割としての理想は、治療が進むと同時に、だんだん存在が希薄になっていくことでしょう。極論すれば、最終的には忘れられてしまうのが理想であるように思います。 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』斎藤環 2022.6.13-19 月曜日 雨。 家の裏…

「わからない」ことの希望

問題を特定するのではなく、問題を語りあうこと。 問題を個人で背負うのではなくネットワークで背負うこと。 『ナラティブと共同性』野口裕二 2022.6.6-12 月曜日 注文していた本がたくさん届いて嬉しい。 1ヶ月の上限をなんとなく決めているので、今月はこ…

あらゆる場所に花束が…

とりわけ患者を理解しないようによくよく注意しなくてはいけません。理解してしまうことほど皆さんを惑わすものはありません。ラカン 2022.5.30-6.5 月曜日 ホームドア川口加奈さんのトークイベントをオンラインで視聴。 わたしの原点にホームレスがいること…

たまには裸足で歩いてみるといいよ

大分市美術館の緑の空間、ガラスの向こうにある緑が好きだ 橋というものはここでは決して、一個の既に現にある岸から、向こう側のやはり既にある岸へと架けられる物ではない。そうではなくして〈橋〉自体が全く同時に、そしてそのままの姿で、流れを軽やかに…

バラ vs バラ

個人的な欲望だけで築き上げた私設のバラ園を訪れる。ここまでものを造るのにどれだけの時間とエネルギーをかけたのだろうか。三十三年間かけて自身の夢想を宮殿として具現化した郵便配達夫シュヴァルを想起させる。今が見頃で5月と10月だけ一般公開している…

墓を食う

わたしは祈る。どうか、考えるということが、まばゆく輝く主体の確立という目的だけへ向かいませんように。自己啓発本や、新自由主義が目指す、効率よく無駄なく生をこなしていく人間像への近道としてのみ、哲学が用いられませんように。 『水中の哲学者たち…

複雑化の教育論

僕は子どもの複雑化を素直に喜ぶことは大人のたいせつな職務の一つだと思います。 複雑化は計測不能である。それがとても重要なことなんだと思います。 複雑化する時に起きているのは量的な変化ではありません。それは「表情の変化」「手触りの変化」「雰囲…

価格設定はアートである

2022.5.2-8 月曜日 日曜日の夜にあるガキ使を10年以上ぶりくらいにテレビで見ているけど、全く面白くなっていることに驚く。YouTubeなどで過去のものを見ると面白いのだが、現在制作されているものの面白くなさは何だろうか、これは充分論考に値するものでは…

意思から遠く離れて

最近、不登校の子どもたちの専門紙からインタビューを受けました。不登校の子どもたちもしばしば「意思が弱いから学校に行けない」と言われてしまいます。しかし、不登校の子どもたちも「学校に行かないことが自分の意思」とは言い切れないわけです。 行きた…

ここだったら、居てもいいかな

宮沢賢治の生涯は「挫折」であったとひとはいう。賢治自身が「半途で倒れた」という以上それは正しいだろうし、わたしもそのように書いてきた。けれどもいったいどこに到達すれば挫折ではなかったというのだろうか。あるひとは賢治が革命の思想に到達しなか…

なにかの傍らにとどまるもの

目にふれるひとつひとつのものがおどろきであるようなこの感覚を、だれもが一度はもっていたはずだ。 「心のある道」〈意味への疎外〉からの解放 真木悠介 2022.4.11-17 月曜日 くもりぞら。 妹のクラスでコロナ陽性者が出たとのことで、生徒さんはお休み。 …

気流の鳴る音

労働が強制されない社会が実在するか否か、私は今でもしらない。しかしもしそのような社会が存在しうるとすれば、すなわち労働がそれ自体よろこびとして、マルクスが書いているように、人間生命の発現としてありうるとすれば、そこでは必ず、人間と人間との…

キーウ

キーウの大地と空 人間を人間として、 また世界に対する人間の関係を人間的な関係として前提してみたまえ。 そうすると、君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、 その他同様に交換できるのだ カール・マルクス『経済・哲学草稿』 2022.3.28-4.3 月曜…

すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために 青山真治

2022.3 あるいは彼らのもっている世界をなだめるには、殺人であるとか、それから祈りとか、それしかないという感じもどこかにあるわけですよ。 人間も動物も植物も天も地も、みんな同じように生き生きして自分を主張しようとしているということを、どうして…

青山先生を悼む

青山真治監督が亡くなったことをヤフーニュースで知った。 青山真治監督との出会いは25年くらい前になる。当時映画美学校(たしか前身は映画技術美学校)の1期生として私はお茶の水のアテネ・フランセ文化センターに通っていた。そのときの講師が青山真治氏…

着る服がどんどん軽くなっていく喜び

mimosa 2022 ソクラテスは、話し言葉、つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体である…

From Russia with Love

2022.3.13 Ooga Farm , mimosa 少女期のふしぎな眩暈花ミモザ 堺信子 ほととぎすの声こそ、恣意のまた恣意だった。歌が続くかぎりは、永遠も恐れるものではない。 古井由吉 鉄鉢の中へも霰 種田山頭火 2022.3.7-13 月曜日 ネコと遊んだ。 戦争があった。 火…

茶色い戦争ありました

台北市 国立故宮博物院「翠玉白菜」2018 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 中原中也「サーカス」 2022.2.28-3.6 月曜日 あたたかい一日。春が近づいている。 録画していた「ぼくはしんだ じぶんでしんだ 谷川俊太郎と死の絵本」の番組を見る。すば…

除名 せよ

そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。 『最後の親鸞』吉本隆明 2022.2.21-27 月曜日 澄み渡った快晴。寒いが気持ちがい…

空想のゲリラ

「いろいろあったけど、よかったよかった」となる映画が多すぎる。本当はいろいろあったなら、人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれをあってはならないものとして葬り去ろうとするだろう。人と社会の間に一瞬走った亀裂を、絶対に後戻りさせ…